高橋敏『一茶の相続争い:北国街道柏原宿訴訟始末』

 俳人小林一茶=弥太郎の相続争いを題材に、19世紀初頭の現信濃町の中心集落、柏原宿の社会を描き出す本。むしろ、「村の治者」中村利賓の方に感情移入している感じが強いが。
 一茶に対する点が辛いのが特徴かな。継母との確執から、若年で江戸の奉公に出される。そのため、村の生き方を学び損ねたというのは、考慮されるべきなんじゃないのかねえ。村落共同体の負担を担ってきた異母弟側に、宿の住人は同情的で、若者組などから、半ば排除されていた。一方で、特に農業を行わない、俳諧の指導で生計を立てる一茶が、定住できるだけの、北国街道沿いの経済的豊かさというのも、印象に残る。柏原宿では、結局、弟子は一人しかできないというのが、ご愛嬌だけど。
 柏原宿の百姓弥太郎と俳人小林一茶を使い分けた、業俳が野垂れ死にするのに比べると、一定の社会的地位を確保し、最終的には、家として後継者をつくることにも成功した、そういう人物を、作品からだけ論じては、片手落ちであるということなのかな。子供ほしさに、40代後半から50代の一茶が、三人の嫁を迎えた執念とか、すごいなあ。
 柏原宿の当時の社会を歴史学的に復元するとなると、父親の遺産を半分にされた弟弥兵衛の方が興味深いかもしれないな。半減した持ち高を、畑地を1石6斗分買い集めていたり、なかなかレベルの高い手紙を書いているとか、一茶の死後には句碑を建てようとしたり。異母兄をどう考えていたのかとか、どのような教育を受けたのだろうかとか。そもそも、どの程度農業が生計における比重を占めていたのか。分割の遅れのために、10両ほどを一茶に支払っているが、それだけの経済力があったということでもあるし。


 中盤は、柏原宿の歴史、特に、村の有力者として、宿の運営を導いた本陣中村利賓の記述が厚い。特に、宿の存亡を賭けた、塩輸送をめぐる江戸での訴訟が興味深い。公用輸送の便宜をはかるため、貨物を集中させる特権が付与されていて、その履行を要求する訴訟といったところ。この訴訟のために、柏原宿の負担分だけで120両を費やしている。
 一方で、この訴訟の勝利で、柏原宿は都市的集落としての発展を保障され、商家が増加している。 
 代官手代や本陣の主人など、在地上層が、パックス・トクガワーナを明確に意識していたという指摘も興味深い。その上で、家の存続と繁栄を図るための教訓書の作成など。


 文献メモ:
国文学研究資料館アーカイブス研究系編『近世・近代の地主経営と社会文化環境:地域名望家アーカイブスの研究』名著出版、2008
高橋敏『江戸の訴訟:御宿村一件顛末』岩波新書、1996