貝ボタン

海のない奈良でつくる、日本一の貝ボタン|さんち ?工芸と探訪?
海のない町の貝ボタン/貝ボタンの歴史 奈良県川西町


 美の壺でやっているのを見て、そういえば前にも検索したことあったなあと思い出して。木曜島とか、日本人の南洋進出と密接な関係がある。鶴見良行の本で読んだのか。


 奈良県の川西町では、現在も、それなりの規模で貝ボタン生産が行われている。もともとは、農村工業の繊維産業が衰退して、それの代替として導入されてた。大正から昭和前半あたりが最盛期。その後、プラスチック製のボタンが普及して、激減するも、生き残った企業は設備投資などで技術を上げて生き残っている感じか。


 かつては、切り出し、成型、研磨などを分業していたが、現在では、貝の買い付けからくり抜きまでは、専業の「ぬき屋」がやっているが、それ以降の工程は一貫生産になっているようだ。製造機械はイタリアが強いのか。


 関西の製造業って、本当に海外向け雑貨生産の比重が大きい感じだな。これが、高度成長期以降、中国にごっそり持っていかれた。大阪の経済状況って、産炭地とか、重工業都市と似たような課題だよなあ。なくなったものを、どうやって補うか、あるいは、何とか再興するか。