- 作者: 西股総生
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/10/27
- メディア: 単行本
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なんか、結局、積極的な反証を提示できなかった感じはある。16世紀初頭という年代観のあやふやさを突くのが、限界だった感じが。決着はついていないが、今のところ、積極的に16世紀半ば以降を支持する証拠がないように思える。
地表観察できる最終段階の遺構しか分析できないところに縄張り研究の限界がありそうだなあ。確かに、陶磁器の生産と廃棄に、かなりのタイムラグがあり得るという指摘は一理ある。けど、やはり、16世紀の頭に作られた陶磁器製品が大半を占めたというのは、重い事実。比企地方の統治拠点として、北条氏滅亡時まで使用されたことが確実な松山城でも、16世紀半ばまでの遺物しか出てこないという事実は、杉山城、北条氏利用説をサポートするものだけど、これも、現役の城として、おそらく城掟で清掃が行われていたであろう松山城と、内部に居住設備がほとんどなく、長期の使用がほぼ不可能だったと思われる杉山城では、解釈に差が出てくるのではなかろうか。
そもそも、年代判定については、杉山城からも出ているはずの古銭の鑑定で、絞り込めるのではないだろうか。ネットでざっと検索しても、古銭について言及されていないのが不思議。関東の遺跡の発掘調査報告を、熊本で見るのも、少々めんどくさいし。
あとは、金属探知機で、広い範囲をチェックするのも、戦跡考古学の手法として、有効だと思うけど。
後半は、戦国時代前期の可能性が高い城の縄張りや比企地方の諸城郭の縄張り図を示しての議論。興味深いが、縄張りと後世の軍記物しか、材料にできない時点で、やはり厳しい。
確かに、杉山城は、戦国時代前期の城に似ていない。一方で、比企地域の他の城と比べても、けっこう、浮いているように見えるのだが。
あれだけ、きっちりと縄張りを作っているのに、建物や門、壁と言った建築物をほとんど欠いているというチグハグさ。郭内の平坦面もほとんど整地されていないというのは、最初から長期間使う前提でなかったとしか思えない。それなのに、きっちりと城ができている。駐屯してから、野戦築城する時間が予想以上にとれたということなのだろうか。結構な土工量が投入されていて、一週間ほどでできたものとも、思えないのだが。建築資材や建築作業を要求される建物などの造作より、堀・土塁といった施設の方が、この時代、低コストだったのだろうか。細かいところで、よくわからないなあ。
なんか、遠来の技術者のデモンストレーターなんじゃないかといったくらいの微妙さを感じるのだが。
長く使う予定の「城」は、郭の平地化なんか、ちゃんとやっているようだし。そういう意味で、似ているのは青山城かねえ。
「太田道灌状」をもとに、戦争が、各地から参加したバラバラの軍勢による決戦メインの戦争から統一的指揮による立体的作戦の展開への変化という、戦争の歴史的変遷を指摘する仮説を紹介していて、これはこれで興味深い。しかし、これも、太田道灌の書状がたまたま残っただけで、他にもやってたんじゃという疑いが。