- 作者: 繁田信一
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2005/09/01
- メディア: 単行本
- 購入: 9人 クリック: 244回
- この商品を含むブログ (27件) を見る
雅やかなイメージの、藤原道長の前後の時代の平安貴族たちが、実際には、頻繁に暴力沙汰を起こしていたという話。まあ、鎌倉時代があれだけヒャッハーな時代だし、前の時代の奈良時代があれだけ血なまぐさい時代なんだから、その間の時代が暴力と無縁なわけなかった。頻繁に襲撃事件が起きて国司が殺される時代なんだから、上層部だけ非暴力なんて、逆に不自然。
摂関政治の大成者である藤原道長をはじめ、摂政や関白を輩出した御堂流や中関白家など藤原氏の御曹司たちの素行が、めちゃくちゃ悪かったのは確かなのだろうな。宮中でケンカ沙汰を起こしたり、従者を殴り殺させたり。
藤原道長を始め、その息子たちも、強姦犯の手助けやったり、他の公家の狼藉を働いたり。なかなか素行が悪い。
その割に、普通に教養のある会話もできるあたり、感じの悪いお坊ちゃんとしか言いようがないなあ。
あちこちで、問題を起こす、荒くれ者揃いの、有力貴族・皇族の従者団は、権門の私的武力であり、ボディーガードでもあったのだろうなあ。
一方で、本書、暴力沙汰が平板に並べられているだけというのが欠点。
素行の悪い貴公子の醜聞だけでなく、債権の回収や土地問題を契機としたトラブルなども多いように見受けられる。これらは、自力救済の問題や当時の民事関係のトラブルの解決方法、権門間の抗争といった見方ができそう。平安時代の社会を照射する絶好の手がかりになりそうなのだが。その意味で、もったいない感がある。
168ページは債権回収をめぐって、受領やその関係者が拉致される事例が紹介される。この時代、金の貸し借りには、こういう実力を行使できる権門との関係がなければ、バックれられることが多かったのだろうなあ。で、実際に、債権を回収するための実力行使が、こうして貴族の日記に記録として残されることになった。
あるいは、33ページの藤原兼隆と藤原実資のトラブルなども、不動産の不法占拠を巡る実力行使といえるだろう。まあ、実力行使した側が、認識違いで間違っていたあたり、かなり恥ずかしい失敗だが。
藤原伊周と藤原道長の、時代の政権を巡る政争から伊周の失脚にいたる「長徳の変」の過程で、道長と伊周弟、隆家の従者が衝突する「合戦」が発生しているが、これなんか、ほぼ完全に権門間の抗争だよなあ。これが、本格的な武力衝突に発展しなかったのは、この当時、個々の公家が抱える軍事力が限られていたということなのかねえ。あるいは、私戦を発展させない公的武力があったのか。
小一条院敦明親王の高階業敏、成章虐待なんかも、自家の権益を侵された報復という、ある種、権門間抗争といった側面が大きいように思う。
花山天皇の従者たちが、門前を牛車の乗ったまま通り過ぎる公家に投石をしまくっていたエピソードなんかは、門前の通過を巡る儀礼・習俗といった問題とつなげられそう。武士の館の前を通る乞食や坊主が襲撃されるという絵巻があるけど、平安時代から院政あたりを通じて、屋敷の門前に対して、屋敷の主の影響力が強かったようだ。このような考え方は、何時の時代まで維持されたのだろうか。
あと、それに対する懲罰の手段として投石が行われたというのは、「飛礫」の習俗とつながりそうだなあ。
あとは、後妻打とか。
花山法皇の皇女が殺害された事件が衝撃的だな。誘い出されたか、盗賊に誘拐されるかで、働いていた屋敷から連れ出され、死亡。死体が犬に食われて、無惨な姿に。で、この犯人が「荒三位」こと藤原道雅なのではないかという指摘が興味深い。突然に、その位階にふさわしくない右京権大夫に左遷され、そのまま上級貴族に返り咲けなかったことが証左ではないか、と。
最上位の貴族が、中級貴族に養女に出された天皇の娘という難しい存在を殺害するという事件について、貴族社会全体でもみ消して、真相を隠した。エグい。
あとは、道長一門の平安京破壊の話、平安京のスクラップアンドビルドと考えると、そこまで指弾されることかなあ。再建しても意味のない役所建築物の資材を、新たな時代の政治的建築物に転用するのは、悪くないことのようにも。