繁田信一『王朝貴族の悪だくみ:清少納言、危機一髪』

王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪

王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪

 『本当はヒャッハーだった平安時代』みたいなタイトルにすれば、一部界隈にうけたと思うw
 上級貴族の流血沙汰は避けられた一方で、受領クラスの中級貴族クラスになると、任国の利権争いで襲撃されたり、運が悪いと殺されたりする。利権を巡って、割と血なまぐさい争いをやっていたという話。
 冒頭の、京都の真ん中で複数の騎馬武者に自宅を襲撃されて殺された清少納言の実兄の話がショッキング。これ、完全に都の中で軍事行動だよなあ。
 地元の有力勢力に襲撃されて、国司が命を落としたり、国府が焼き払われる事件が起きる一方で、国司が反抗的な人間を殺したり、犯罪行為の証拠を握っている人間を消したり。むき出しの暴力が横行する社会。一方で、なんかやらかしても、権門、特に摂関家と関係が強ければもみ消してもらえるという仁義のなさ。逆に言えば、権力者と何らかの関係を持たないと、自己の生存も危うい世界、と。
 有名な尾張国郡司百姓等解も、中央の政局と関係があって有効であった。むしろ、中央政界をにらんで作文された文書なのかもな。似たような訴えも、藤原道長と関係が深かったりすると、真面目に取り上げられず、国元で国司からの圧力で潰される。
 権力者が右向けと言ったら右を向く世界だったわけだ。


 一方で、この時代の「収奪」がどの程度のものだったのか、実際にはよく分からないなあ。他の研究者も、平安時代中盤以降を「悪政」とか表現しているから、ひどい状況は確かだったのだろうけど。じゃあ、一気に人口が減ったという雰囲気でもないし。考古学的に、平安時代中期以降、集落遺跡が激減したとか、あるのかねえ。
 地域社会がどのような居住分布と生産活動を行っていたのか。それが、地域の有力者にどのように編成されていたのかがブラックボックスとなっているだけに、どのようなことが行われたのか、隔靴掻痒感が強い。
 そもそも、「律令」が前提とする制度自体が、かなり仮構的なものだし。


 第一章の、「殺人犯を皇族に仕立て上げる」がおもしろいなあ。九州の地域豪族が主人公のお話。九州の豪族の息子を、皇族に仕立て上げ、位階を上げようとしたが、ばれて騒ぎになった話。その偽皇族が、かつて大隅守菅野重忠を殺害した実行犯で、壱岐守大蔵種材の息子光高だった。前大宰大弐と関白藤原頼通、式部卿宮敦平親王が関わっている。
 藤原蔵規は、熊本の有力武士団菊池氏の始祖と言われる人だけに、アレっと思ったが、別の人なのね。とはいえ、藤原蔵規かその子孫も、なんか殺人事件を起こして府官としての将来を閉ざされたらしいと、昔なんかの本で読んだが…