倉本一宏『戦争の日本古代史:好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』

 4世紀あたりから11世紀を中心に、蒙古襲来や秀吉の朝鮮侵攻と、前近代の対外戦争の歴史を考察する本。少々、議論が乱暴な気がするが。
 なんか、もっと関わっていたように思っていたのだけど、意外と大規模な戦力の朝鮮半島への投入は、少ないのだな。片手の指で足りる程度の回数。鉄などの資源確保のために朝鮮半島と関わりを持つうち、朝鮮半島からの要請で軍事介入。そこから、冊封体制の中で朝鮮半島への優越意識と新羅・高麗の敵意が醸成されてくる。
 前近代の輸送能力だと、どうしても、朝鮮半島と北部九州での軍隊輸送が限界だったのだな。結局、東シナ海を渡っての作戦は、弘安の役の江南軍のみか。北九州と朝鮮半島の間の輸送すら、かなりの障壁として機能した。


 既成事実というか、「日本」の朝鮮支配の根拠としての「任那の調」。
 あるいは、中国における統一政権の重要性。日本列島や朝鮮半島で国家形成が進んだ時代、中国大陸には統一政権が不在だったのだな。漢が2世紀末に解体し、隋唐が出現する6世紀末まで、長期的に安定した政権は存在しなかった。


 白村江の戦いの、政権側の思惑がエグいなあ。しかも、ありそうな感じするのがなあ。中央集権体制を作るのに邪魔な西国の豪族を、唐軍にぶつけて壊滅させて、さらに敗北のショックと唐・新羅軍の侵攻の危険を煽って国防体制を構築できる。ショックドクトリンか。
 そして、その非情な策が、回り回って壬申の乱で、息子の大友皇子の不利を招く。唐と新羅の対立から、新羅出兵を求められ、徴兵が進んだ段階で発生。新羅遠征軍がまるごと、対抗する大海人の軍勢になってしまう。そして、大友皇子の側は、戦闘経験のある指揮官も戦力も事欠くことになる。


 刀伊の入寇も興味深い。しかしまあ、かなり大規模な軍勢が朝鮮半島東岸を縦断している間、高麗側は何してたんだろうな。最終的に、高麗軍の軍船が壊滅させているわけだが、後手に回りすぎなんじゃなかろうか。
 中央政府の外交音痴ぶりもなかなかすごい。地域の統治に責任を持たなくなった政権なのだな。
 そして、九州の軍事貴族・武士団の形成の端緒になっていること。