『ミリタリー・クラシックス』Vol.63

 特集はソ連T-34中戦車と阿賀野軽巡洋艦


 T-34の開発の歴史。傑作戦車と名高いT-34だが、ソ連軍にとっても完全に満足できる戦車ではなかった。特に、砲塔が小さくて、二人しか入れず、砲手と装填手のどちらかが車長兼任であった。戦争前は、歩兵支援戦車は、この程度の動きしかしないと考えていたってことなのかねえ。しかし、戦車相手には、どうしても判断スピードが遅くなる。さらに、歩兵相手でも、二人用砲塔では足りなかった。
 ドイツの三号戦車の見本を引き渡され、内部容積を消費するクリスティー式サスペンションに対するトーションバーの優位、内部の乗員配置の優位、車長用キューポラなどの優位を見せつけられる。それに衝撃を受け、根本的な改良に着手するが、独ソ戦の開戦で供給優先となり、準備に時間がかかる改良は諦められた。このあたり、日本の隼と共通する話のような。
 あとは、生産の立ち上げにかなり時間を食っている話。厚い装甲鋼鈑、大型鋳造部品、それを組み立てる、新型大馬力ディーゼルと大量生産の準備にはそれなりのコストが必要であった。さらに、ドイツ軍の空爆を警戒しての、ウラル山脈の東側への生産設備の疎開。ウラル東部の自動車生産の生産基盤を使って、T-34の生産が行われた。そのためにトラック不足に苦しんだ。あるいは、疎開のために大型機関車を動員されたので、前線での鹵獲が避けられたとか。
 個人的には、T-34は1941年型が一番かっこいいと思う。とにかく、戦車部隊の急拡大や前線での消耗から、どのような意図を持って開発されたのか見えにくいが、基本は歩兵戦車として構想。しかし、重戦車としてあちこちにばらまかれた。あと、実戦経験を経て、だんだん小さくなる戦車部隊の単位。戦車軍団といっても、1万2000人は師団レベルの規模だなあ。
 あとは、T-34-85になって、砲塔が大型化。車長の独立や砲弾の配置など、取り回しが良くなっている。
 各国戦車との比較も興味深いな。30トン級で、シャーマンとT-34はいろいろと同格の車両だったのだな。それに比べると、20トン級以下の戦車は苦戦をまぬがれない。あとは、「中戦車」としてのパンターの破格さとか。長砲身四号で、十分戦える感じもあるな。


 第二特集は、軽巡洋艦阿賀野クラス。なんか、活躍の場を得ていない感じがあるけど、阿賀野ソロモン諸島での海戦に間に合っているのか。ブーゲンビル島沖海戦では、第二警戒隊を率いるも、敵の間に友軍が入ってきたため、特に活躍もせず撤退。活躍の機会が無かった。阿賀野は潜水艦に撃沈。能代・矢矧は、マリアナ海戦・レイテ沖海戦に参加。両方を生き延びた矢矧は、大和の水上特攻に参加して撃沈。しかし、軽巡洋艦クラスで魚雷7本、爆弾12発命中まで耐えたって、驚異的だな。
 最後の酒匂は、実戦参加の機会もなく駆逐艦部隊の訓練支援、復員輸送を経て、ビキニ環礁での核実験で沈没。
 大戦後半なりに戦っている感じはあるな。
 既存の5500トン級軽巡が、航行能力、航続距離、居住性、砲力、水雷兵装、水上偵察機の搭載能力で性能不足に陥っていた。結果として、特型駆逐艦以降の水雷戦隊旗艦にふさわしくなくなっていた。それを、代替する艦であり、その部分については必要十分な能力を備えていた。
 計画そのものの欠点である対空兵装の不足などは如何ともしがたいところがあるけど。
 重視された水偵装備、矢矧の沈没時も維持されていたのか。


 以下、コラム・連載:
 白石光「特殊作戦行動 Mission56」はナチの副総統であったルドルフ・ヘスのイギリスへの単独行の話。単独で講和交渉に飛んだが、あっさりと無視されたw
 精神的に不安定な人だったみたいだなあ。オカルトに傾倒して、暗示にかかりやすくなっていた。つーか、1941年にイギリスに捕まったヘスでも終身刑で、獄中で自殺か…


 本吉隆「海外から見た日本艦:第七回「金剛型巡洋戦艦/戦艦 3」。米軍は、大戦中に、金剛クラスの速力を掴んでいなかったのか。空母に随伴していることで、速力発揮を疑うようになった。
 あとは、曲がりなりにも戦艦である金剛級がいると、戦艦で対校せざるを得ない。しかし、アメリカの戦艦は遅くて、苦労した、と。ガダルカナルの砲撃、アメリカにものすごいショックを与えたのだなあ。


 野原茂「蒼天録」。九七式司偵の試作機そのままだった「神風号」のお話。壮図だけど、なんか航法支援の貧弱さにも驚かれたとかなんとか、そういう話を聞いたことあるなあ。


 有馬恒次郎「ミリタリー人物列伝」は、ドイツのエース、アフリカの星ことハンス・ヨアヒム・マルセイユ中尉。派手な女遊びなどの問題行動は、繊細な心を守るための殻であった。相手パイロットを思いやる心は、戦争で摩耗していった。あるいは、独自の偏差射撃など。


 松田孝宏「栄光なき敗者の栄光:第六〇回中国の空に戦う赤い星」は、日中戦争時、中国軍を支援したソ連空軍のエピソード。1939年の天皇誕生日の日本軍の攻勢には、多数の航空機が迎撃に上がり、かなりの損害を与えている。あるいは、SB-2爆撃機による、航空基地の攻撃で司令部直撃とか、駐機中の機体を破壊したり。かなりのパイロットが参戦していたようだ。つーか、1939年4月29日の戦闘の詳報が残ってないということは、かなりの損害を受けたな。
 ノモンハン事件の打撃、零戦など新型機の投入、日ソ中立条約締結、独ソ戦開戦などで、ソ連空軍は撤退。その後は、米軍の支援を受けるようになる。