熊本市現代美術館「きっかけは『彫刻』。:近代から現代までの日本の彫刻と立体造形」

 東京国立近代美術館所蔵の彫刻で日本近代の彫刻・立体造形の歴史をたどる巡回展に、熊本市現代美術館所蔵の造形作品のコレクション展の二本立て展覧会。彫刻って、意外と、こういう展覧会で見る機会ないなあ、そういえば。あちらこちら、置いてあったりはするけど。


 前者、国立近代美術館所蔵品の巡回展の方は、明治期、大正期、昭和前期、戦後と歴史をたどり、最後は彫刻概念を解体してしまった抽象立体造形に占められていく流れを概観する。
 近代ヨーロッパの芸術概念、特に「スカルプチャー」を翻訳し、日本独自のものにするのは、なかなかの試行錯誤が必要だった。「彫刻」として概念化する過程で、近年再評価が進んでいる生人形なんかも、「芸術」の中から漏れてしまった。十分、造形芸術の範疇だと思うのだけどね。


 大正時代になると、ロダンの圧倒的影響力の元に日本の彫刻界は置かれる。ヨーロッパ彫刻史の中のロダンが分からないと、ここでの意味がよく分からないなあ。で、昭和戦前期になると、ロダンの影響を受けつつ、自分たちなりの造形の探究が進む。日本の伝統的造形との融合が模索され、多様な表現が出現する。個人的には、ここらあたりが一番おもしろい。平櫛田中の「鏡獅子試作頭」、「永寿清頌」が独特の迫力。あとは、橋本平八の達磨がなんか、良い。
 で、戦後になると、戦争体験を反映した作品や抽象的作品が作られるようになり、さらに、「彫刻」概念の解体を目指したインスタレーションや造形作品が出現する。解体するのはいいけど、その後、焼け野原しか残ってないような気がするな。新しい時代の作品は写真撮影禁止。ここいらでは、向井良吉「蟻の城」が印象的。アルミニウムの造形で、破壊された軍艦の構造物というか、変な形の城というか、独特の質感がある。


 橋本平八「達磨」。真っ赤な小さい像のなかで、にらみつけるような目がすごく印象に残る作品。この展示会では、これが一番好きかな。



 以下、中原悌二郎「若きカフカス人」、朝倉文夫「墓守」、荻原守衛「文覚」、竹内久一「達磨之像」。







 後半は、熊本市現代美術館のコレクション展。明治期の生人形を除けば、だいたい、21世紀に入ってからの作品メイン。
 こちらには、あまり興味が持てないなあ。
 あと、こういう抽象的な造形を行うときの、素材としての「鉄」の力。阿部守「Supposed to Fly」、なんかよく分からないインスタレーションだけど、素材の質感だけで見てられる気がする。これは、先の国立近代美術館の所蔵品である若林奮「北方金属」にも当てはまる。こちらは、なんかの金型かなとおもうような、分厚い鉄板の集合体。


 基本的に現代美術の作品って、ピンとこないのだけど、中山ダイスケ「Private Castle」シリーズ2点は、ちょっと気に入ったかな。いくつかの作品で、崇城大のマンガ表現コースの学生が絵を描いているのがあるのだが、この作品では布団をかぶって引きこもっている人を想起している。個人的には、あの毛布の下にはSAN値直葬系の何かが潜んでいそうな印象を受けたが。そのあたりの、各人の想像を羽ばたかせることができるのがおもしろさかな。


 あとは、草間彌生「宇宙の心」。基本、クソでかいミラーボールなんだけど、モーター音をならしながら、ゆっくりと回っている姿が妙に落ち着くw


 やっぱり、生人形だよねということで、安本亀八「相撲生人形」の絞められてる方をメインに。