熊本市現代美術館「ドレス・コード?:着る人たちのゲーム」展

 結局、当日にまとめが書けず。


 京都服飾文化財団が所蔵する服を中心に、服を着ると言うことがどういう意味を持ってきたか、どう見られるかを考える展覧会。非常に現代美術的というか、ファッションも自己言及でグルグルしすぎて大変そうだというか。


 全体は、12部構成。

  1. 高貴なふるまいをしなければならない?
  2. 組織のルールを守らなければならない?
  3. 働かざる者、着るべからず?
  4. 生き残りをかけて闘わなければならない?
  5. 見極める目を持たねばならない?
  6. 教養は身につけなければならない?
  7. 服は意志を持って選ばなければならない?
  8. 他人の眼を気にしなければならない?
  9. 大人の言うことを聞いてはいけない?
  10. 誰もがファッショナブルである?
  11. ファッションは終わりのないゲームである?
  12. 与えよ、さらば与えられん?



 基本的には、1990年代から最近のパリコレなどで発表されたオートクチュールの出品作品が多い。なんというか、この種の「先端的デザイン」の貪欲さ。なんでもかんでも、記号にして取り込んじゃう姿が印象的だな。反抗の象徴であるパンクファッションまで、商業化して、飼い慣らしちゃう。生死に関する軍事的デザインであるトレンチコートや迷彩もデザインとして取り込み、さまざまな文化的表象も飲み込んでしまう貪欲さ。
 古い服は意外と少ない感じかな。冒頭の18世紀の宮廷服男女、2の20世紀初頭のビジネススーツ、7の20世紀半ばのシャネルデザインの女性向けスーツなど。



 個人的には服そのものより、服を着ている人々を写した写真が興味深かった。
 世界の各地で、いろんな人を盗撮して、パターン分類を行ったハンス・エイケルブームの「フォト・ノート」シリーズの膨大な写真。そして、都築響一のさまざまな「限界」ファッションシーンを写した写真たち。
 前者は、世界各地の繁華街で見られるファッションを分類整理しているのだが、割とあちこちでパターンがあるのだな。ホームグラウンドはアムステルダムのようだが、2009年には東京で撮影を行っている。渋谷では髪を立てた若者が12件、一項目立てる程度にまとまっていた。あるいは、上野ではチェックのシャツを着たおっさんが一項目。これ、秋葉原に行ってたら、どういうパターンが出来上がっただろうな。やっぱり、チェックのシャツにリュックなのかねw
 都築響一の「ニッポンの洋服」は、ラディカルというか、周縁的なファッション世界を取材した写真たち。「異色肌」が衝撃的だな。同人誌でも、人外・異人とのエロなんてジャンルがあるから、そういう需要があるのだろうけど、3次に適用したい人が居るのか。私は二次と三次は截然と分ける方だから、びっくりした。女性側では、ガン黒の進化形とも言えそうだな。
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 「着ぐるみ美少女」の中でも一つ目少女の格好をする人がいる。でもって、男性はドン引き、女性がかわいいと評価するというのが。あるいは、ゴム祭なるラバー服の愛好者が集まる会合など。ディープというか、金かかりそうというか。


 個別作品では、玉井健太郎アシードクラウド」が、架空の職業の人々の作業着というコンセプトでデザインした服とか、ゴルチェが2000年に発表した迷彩柄の浴衣あたりが印象に残る。後者は、日本人には思いつかなそうだな。というか、戦時中に使われたと言われても違和感がなさそうなw
 そういえば、背広の類いは、あんまりシルエットに変化がないんだな。


 コムデギャルソン/川久保玲のドレスが強そう。