講演会「宮本常一、旅の足跡」

 熊本博物館の特別展、「『旅の巨人』と呼ばれた民俗学者宮本常一」と関連した講演会。宮本常一記念館学芸員の高木靖伸氏が講師。宮本常一の生涯を簡略に紹介、残された写真資料の魅力を語る。


 写真10万点、ノートや原稿などの文書6000点、蔵書2万冊が宮本常一記念館に残る。
 写真10万点って、今のデジカメの時代ならともかく、昔のフィルムカメラだとフィルムと現像代だけで、結構な額になったのではなかろうか。しかも、膨大な写真を、撮りっぱなしではなく、ちゃんと整理しているのがすごいなあ。


 たくさんの本を書いているが、それでは伝わらない、会ったことのある人でないとわからない魅力がある。人のやる気に火を付けて、いろいろな活動を活性化させることから、「放火魔」と評した人もいるとか。師範学校出て、教師の経歴もあるから、研究者というよりは教育者としての性格が強い人だったのかなあ。
 様々なことを調査しているが、民俗学は、あくまで実践の学であり、地域の人々を、物質的にも、文化的にも、より豊かにする手段であった。より豊かな社会を構成するために、村落の生産の組織、そして、それを支える村落共同体の規範を明らかにしようとした。その手段として、猿回しなどの地域芸能の再興、離島振興法などの法整備やその後の地域の組織化を行った。


 風景そのものが、文化を読み解く手がかりで、残された写真資料も、記録としての写真である。構図に凝ったものではない、むしろ無造作に撮った写真であるが、それが宮本の写真の魅力である、と評価する写真家は複数いるそうで。


 経歴と研究内容と社会的変化の関連も興味深い。
 生まれは周防大島。「波音を聞きながら山へ畑仕事」と述べているように、島の多様な生業を経験している。さらに、祖父は大工として、父はフィジーに行っているように、出稼ぎが一般的な社会であった。常一自身も、15歳で大阪へ。一生出稼ぎ感覚みたいなことを書き残しているのが、まさに文化的影響なのかね。


 大阪では、郵便局に勤務しながら、夜学で師範学校へ。
 そこで、学問や社会思想の面で大きな影響を受ける。クロポトキン「相互扶助論」に大きな影響を受ける、また、西田幾多郎の教えを受けた人々に教えを受けている。これが、主観を整理していく常一の「実感主義」を育んだ。あとは、恩師金子又兵衛から近松門左衛門を勧められて、それが文章などに影響している。近松って、大阪の中産階級の「教養」だったと聞くが。
 師範学校専攻科卒業後、教師として赴任。芦田恵之助の「綴り方教育」に傾倒。調べ方学習の先駆の様なこともしている。しかし、肺尖カタルを発症し、療養のため帰郷。死に直面すると同時に、昔話収集から柳田国男の知遇を得たり、「大島郡史」編纂の志をもったり。
 1932年からは、教員として復帰。民俗学の研究会に所属したり、渋沢敬三の知遇を得たり。また、子供たちの作文から生活誌「とろし」を編纂。後々まで教え子の印象に残ったという。
 満州での大学教員のポストの話も来たが、渋沢敬三があっさりと断ったって話が印象深い。アチックミューゼアムの研究員となり、ここらあたりから、民俗調査の旅を重ねるようになる。


 戦争が激化すると、民俗調査は難しくなり、教員や大阪府嘱託として食糧自給対策や調査を行うように。終戦間際には堺空襲で自宅を焼かれ、蔵書や書きかけの原稿、調査資料などを一切合切失う。そこから、改めて蔵書形成。
 戦中戦後を通して、嘱託として農地解放調査、営農指導、漁業史料調査、林業金融調査などに従事。また、北海道への入植者の引率で、いわば棄民の片棒を担いで両親の呵責に悩まされたり。南米への移民だけでなく、北海道への入植でも問題があったわけか。
 一方で、これは国会議員であった渋沢敬三が、地域の状況を知るアンテナの役割を果たした。離島振興法の制定局面では、議員立法のために、議員に実情を説明して回る役割を果たした。また、振興法の補助を受けるための受け皿として全国離島振興協議会の幹事や事務局長に。
 1965年に58歳にして、武蔵野美術大学の教授に。多くの若者を引きつけ、人気教授に。その受け皿としての生活文化研究会の設立。そして、地域振興のために日本観光文化研究所を設立。「よき旅人」を育てるという理念で活動したが、その後の歴史的展開とはズレていった。


 いろいろと手弁当で活動した常一の家計を維持した奥さんがすごいという話が。若者に奢ったり、いろいろと物入りだったんだろうなあ。


 しかしまあ、宮本常一は、その後のバブル時代を見たらどう考えただろうなあ。地域からの人間の流出と空洞化、文化伝承の危機。ネットで一元化する社会。
 ある面、村社会を肯定し、集団主義的な社会を肯定する面があるだけに、私のようなオタクとは相性が悪そう。というか、なんか独特の農本主義というか、郷土主義がある感じ。そして、それは、サービス社会、ネット社会、モータリゼーションとは、あまり相性が良くない感じがする。