熊本博物館企画展「『旅の巨人』と呼ばれた民俗学者・宮本常一:熊本で見つけたモノ」

 宮本常一が、熊本ではどのようなモノに関心を寄せたか、写真と調査記録からたどる展示。特別展示室1、2では、宮本常一の生い立ちと学問形成。第三室では、熊本で撮った写真と宮本常一が感心を持ったことども。
 パネルで引き延ばして展示してあるけど、下はものすごく小さいサイズの写真なんだよね。そして、それをきっちりと整理してある。おかげで、残した写真から、未だに大量に写真集が刊行される。資料として、データが豊富なように写真を撮ってるから、いろいろと、風景が変わってしまった現在から、いろいろと見直せる。


 周防大島に生まれ、大阪で郵便局員をしつつ、師範学校に通って卒業。教師に。また、柳田国男渋沢敬三の知遇を得て、特に後者の援助を受けながら、全国各地の民俗・生産などの実情を見て回る。
 何冊か、1945年以前刊行の本が出展されているが、これ、堺空襲で焼失したあとに買い直したのだろうか。松本繁一郎から贈られた大正11年の描き込みが入った『善の研究』や宮本自身が編集を行った『とろし』は、どうやって戦火をまぬがれたのだろうか。周防大島の実家に置いてあった?


 生産の地域特性を物語るモノとして、耕作具である鍬や鋤に注目していた宮本は、民具として収集をおこない、それらは「国指定有形民俗文化財」に指定されている。そのうち、今回は火山灰土壌に適応した鋭角の肥後鍬、あるいは、全国に販売された肥後鋤と馬耕の技術を伝授して回った馬耕教師などに興味を向けている。
 あるいは、離島や山間部の発展という問題意識から、天草には複数度来訪している。また、阿蘇や球磨地方に関しては、『私の日本地図11:阿蘇・球磨』にまとめられている。


 また、教育機会を求めて、人が出て行く状況から、地域での教育の重要性を認識。そのモデルケースとして、合志義塾に注目している。合志義塾そのものも、農村地域の中堅階層の育成を目的として設立されている。問題意識の共鳴みたいな感じかな。信用金庫の設立や菊池電車などの交通、新作物の導入など、地域活性化の核になっているし、そういうところも、宮本の問題意識に通じるところがあったのかな。
 しかしまあ、「地域教育」や合志義塾の教育システムなんかは、私のような体が弱い、発達障害者には、あまり居心地良くなさそうだなあ。現在のネット社会のあり方というか、身体性の感覚で、宮本やこういう農村の人たちとずいぶん距離感を感じるなあ。


 個人的には、乗り物の写真が興味深い。
 本渡港の漁船が、それぞれ船首に独自の意匠を付けているのがおもしろい。この手の装飾は、どういう意識で付けられたのか。
 あとは、客船とおぼしき羽衣丸や高砂丸、渡し船のあまつけ丸とか。1960年代あたりまでの客船のデザイン、いいなあ。ここらは、天草の交通史を漁れば、情報が出てくるかな。