『ミリタリー・クラシックス』Vol.67

 特集は古鷹型青葉型重巡洋艦とハインケルHe177グライフ。


 第一特集は、はじめて20センチ主砲を装備し、条約型巡洋艦の始まりとなった古鷹型・青葉型の両重巡。古鷹型は独特の単装主砲を装備した艦容から、青葉型に準じた連装砲塔三基に換装。青葉型は最初から連装砲塔を装備。三基分のスペースを飛行甲板とカタパルトに当てている。あとは、改装までは、汽缶やタービンの信頼性が低かったとか。
 7500トン級の重巡洋艦は、アメリカのオマハ級やイギリスのホーキンス級を圧倒する目的で計画され、その後も増える予定だった。しかし、軍縮条約で、制限ギリギリの1万トンクラスの巡洋艦を整備してくることが予想されたことから、4隻の建造にとどまった。
 艦の大きさや搭載兵装から、1万トン級の重巡洋艦に能力的に劣り、重巡としての任務を果たせるとはされたが、重巡洋艦の花形第二艦隊には所属していなかった。
 初戦は、島嶼の上陸支援で、ほとんど発砲もなく推移。珊瑚海海戦が唯一の空母決戦だが、祥鳳の護衛を全うできず。その後、ガダルカナル島への米軍の反撃上陸に続く一連の海戦では、主力として活躍。第一次ソロモン海戦では、アメリ巡洋艦部隊を夜戦で圧倒。しかし、その帰途に加古が潜水艦に撃沈されたのを皮切りに、1942年後半に、ソロモン諸島周辺で、次々と撃沈され、青葉のみが残る。
 しかし、満身創痍の青葉は、輸送任務メイン。1944年6月に雷撃を受け、大破。本土に帰還する。その後は、呉港に係留されたままになり、呉空襲で撃沈。
 イギリスのクイーン・エリザベス級戦艦と同じで、旧型の艦だからこそ、便利使いされた面もありそうだなあ。


 第二特集は、ハインケルHe177グライフ。液冷エンジンを二つつなげた双子式エンジンで、高速代航続力を狙ったドイツの戦略爆撃機。ロマン枠だなあ。でも、兵器でロマン枠はいけない。複雑なエンジンに制約されて、生産数も、稼働率も伸び悩んで、活躍しきれなかった。
 細い胴体とアスペクト比の高い主翼で、高速を武器にする一方、最小限の乗員と無いに等しい防御火力というコンセプトの航空機だった。しかし、防御火力の強化や降下爆撃能力の付与を求められた結果、機体は凡庸なモノになった。時速460キロだと、連合国の戦略爆撃機とたいして変わらない性能だな。
 この機種が開発された経緯としては、ドイツ軍内の戦略爆撃閥の存在があった。しかし、航空省次官であるエアハルト・ミルヒの安価な双発爆撃機で数を揃える軍事行政上の方針、さらに、技術局長エルンスト・ウーデットによる降下爆撃能力付与の要求によって、もともとの革新的な設計は次々と破棄されていく。それは、性能低下を引き起こしたが、同時に実用性を与えるものであった。むしろ、アヴロランカスターのように、早々に双子式エンジンを諦めるところまで踏み込めなかったことが問題だった、と。実際、実用化まで進めなかったが、B型では双子式エンジンを諦めて、四発重爆にするつもりだった。
 戦歴は、1942年のスターリングラードで包囲された陸軍部隊への空輸作戦から。この作戦では、細い胴体のグライフは、搭載能力に欠け、かつ、エンジンの不具合から、ほろ苦いデビュー戦となった。その後、洋上哨戒機として運用され、大戦末期の対空防御が強化された船団を、ロケット爆弾Hs293によって実際に損害を与えられる数少ない存在として重視された。また、戦略爆撃機としては、戦略爆撃の「報復」やヨーロッパ本土上陸作戦を妨害を目的としたイギリス本土爆撃。1944年には、ソ連相手の戦略爆撃作戦も企画されるが、バグラチオン作戦による戦線崩壊によって、輸送拠点攻撃の他は地上支援に追いまくられた。しかも、1944年8月には、ドイツ全体の燃料不足によって運用から外されてしまう。なんというか、恵まれないなあ。
 高アスペクト比主翼によって、高高度性能と航続力を両立させるというコンセプトは、B-24と共通するところがある。しかし、生産機数の差が、なんというか、すべてを物語っているなあ。


 以下、コラム。
 すずきあきら「WW1兵器名鑑」。オーストリアのテゲトフ級戦艦。まあ、オーストリア海軍の主力艦だけにアドリア海で、「保全策」を続けた。背負い式砲塔でコンパクトにまとめられたが、そのため重心が高くなってしまった。あと、揚弾機の都合で、三連装砲塔なのに、一度に二発しか砲弾が揚げられなかったとか…
 水雷艇とか、潜航艇が仕掛けた機雷のため、二隻が戦没。残りはイタリアとフランスに引き渡し。水中防御が弱いのか。


 吉川和篤「知られざるイタリア将兵録」。今回は、カプロニ・ヴィッツォーラ社のF5、F4、F6の戦闘機群。結局、量産に至らなかったが、イタリア戦闘機の例に漏れず、空冷星形エンジンからドイツ製空冷エンジンに換装していく。


 松田孝宏「この一艦」。輸送能力重視の潜水艦伊363潜。メレヨン島や南鳥島への輸送任務。回天を搭載しつつも、それの使用を避けた艦長。なんとか戦争を生き延びたが、佐世保回航の途中で触雷沈没。ほとんどが殉職してしまった運命…


 野原茂「蒼天録」。軍偵察機のコンセプトの先駆けとなった九四式偵察機日中戦争の初期に、捜索、連絡、対地攻撃など直協支援に活躍。緒戦期の日本軍の優位に貢献した。しかし、1934年初飛行の航空機には限界もあった。中華民国政権が重慶に移動したあとは、航続距離の限界から仕事が減った。


 内田弘樹「栄光なき敗者の栄光」今回は、太平洋戦争の最後の最後、8月14日に、日本海側の兵庫県香住町で発生した、米潜水艦に海防艦二隻が撃沈された香住沖海戦の様相。音響魚雷で、一方的に海防艦がやられてしまう状況。しかし、歴戦の13号海防艦は、音響魚雷三本のうち二本まで避けて見せたという。