熊本市現代美術館「ライフ:生きることは、表現すること」展

 やはり、二日かかってしまうな。
 これは、14日まで開催の有料企画展。入るかどうか迷ったが、入ってみれば普通におもしろかった。
 テーマとしては、ハンディキャップがありつつ、表現する人々といった感じかな。おおよそ四パート構成。

一緒に歩んでいくこと

 第一パートはアールブリュットのアーティストの作品。
 紙に細かく切り込みを入れる藤岡祐機の作品が初っ端から度肝を抜く。前にも見たことあるけど、普通のはさみで、こう、細かく細かく刻んでいくのって、ものすごいな。ずっとそれを続けていて、保存されている。で、万華鏡のように吊されている。





 渡邊義紘は、動物を落ち葉を折って作ったり、一枚の紙で精密な切り絵を制作。これが全部ひとつながりとは、という細密な動物切り絵。恐竜、哺乳類、竜などなど。毛並みまで表現されたアリクイや迫力あるティラノサウルスあたりが好き。






 松本寛庸はすでにかなり評価を受けている画家らしい。豊かな色彩の色鉛筆・サインペン画を描く。とにかく、圧倒的な点描。これをフリーハンドで描いているのが、これまた。サイズの小さい写真では、魅力がまったくわからないけど…
 上から「サグラダファミリア」、「国盗り絵巻」「大世界地図」「スクエア」。





ライフに思いをはせる

 ハンセン病で、隔離施設に入っていた人々のさまざまな表現。菊池恵楓園の絵画クラブ、金陽会のメンバーの絵画やキリストの聖像、貝殻など。行けない場所への思い、症状が進んでのハンディカップなどなど。
 中絶させられた胎児を埋葬した海岸から持ち帰った貝を展示した「願いの貝」が圧倒される。貝の美しさと、そこに込められた精神的な苦痛の大きさと…






アーティストが見つめる身体

 脛骨欠損で脚を切断したアーティスト片山真理のセルフポートレート写真とフランスのアーティスト、ソフィ・カルが先天的に目が見えない人と「美のイメージ」について問答した写真インスタレーション。前者は写真を撮るのを遠慮してしまって、後者は撮影禁止。
 ここで、遠慮してしまうのが、問題と言うことなのかな。
 見えない人も、割と映像的イメージと想像で「美」を認識しているというのが興味深い。人がどう言っているかで、想像したり。

アートとともに、未来に向かって

 ラストは、未来に向けてという感じで。
 豊橋技術科学大学のICD-LABは、「弱いロボット」というコンセプトで、新たなコミュニケーションを模索する。続いては、熊本の「自撮りばあちゃん」西本喜美子の自撮り作品。たまに、それを自分でやるか的な自虐ギャグがはいっていて、ビビる。ラストの坂口恭平はなんで入っているのだろうと思ったら、双極性障害とそれと付き合っていくための工夫。躁状態の時に、創作をやる。あとは、料理を中心に様々なことを克明にメモしているのが、自由にならない体を制御する工夫として興味深い。


 「弱いロボット」、トウフただ相槌うってるだけだろうwとか、人にゴミを拾ってもらうゴミ箱ロボット意外と普通に使えるんじゃないかとか、プルプルしながらポケットティッシュを配るiBones下手な人間が配るより効果的っぽいなあとか。
 なかなか楽しい。





 坂口恭平のメモ、これ自体が表現なわけか。