稲葉継陽『歴史にいまを読む:熊本・永青文庫からの発信』

 俳誌『阿蘇』への連載記事と熊日新聞の「くまにち論壇」に掲載した記事をまとめたもの。
 相変わらず、文章が読めないモードで、読むのに時間がかかった。特に、雑誌記事と新聞論説の文体の変化に、どうも、脳みそが適応できなくて、苦労した。


 第一部は、『阿蘇』への連載。日常のお仕事、講演や論文書きの話題とともに、永青文庫から読み取れる話題が紹介される。センター長という職務から、あちこちの講演に引っ張りだこのようだ。


 個人的にヒットは鮎大好き忠利さん。小国町の杖立川の鮎が大きいのを知って、「小国の鮎はこんなに大きいのに、なぜ今まで自分に教えてくれなかったのだ!」と怒ったという。近世細川家の基礎を作った名君の、なんか妙に大人げないところがいいなあ。
 自然環境や食に関わる話題が多いのが楽しい。近世の熊本のグルメとしては、「川尻の鰻の鮨」や「鱸」、八代蜜柑、今は消滅した菊池海苔、小代山の松茸など。あるいは、近世初頭には、九州のツキノワグマが少なくなっていたであろうことが、仕留めた熊の胆や油を、薬品として細川家に上納して喜ばれている話から、指摘する。ありふれているなら、わざわざ上納しないだろうし。あるいは、秀吉の国分けで、長島が鹿児島藩領になり、そこの焼酎文化が、「島美人」という銘酒を産んでいるとか。


 あるいは、熊本地震以降の、文化財レスキューや災害史のことなど。永青文庫の記述を探索することで、近世の肥後の地震が結構な頻度で起きていたことが明らかになる。というか、布田川断層帯、日奈久断層帯というヤバい断層帯が存在するのが、災害に興味がある人間以外には、知られていなかったというのがちょっと絶望的だなあ。
 本丸御殿が使われなくなった理由も、地震にあったというのが明らかになったり、ぶっ壊れた城の補修にめちゃくちゃ苦労しまくっていた話。文化財レスキューで、村方文書や中下級クラスの家臣の文書が研究者の目にとどまり、そこから明らかになる新事実や近世社会を重層的に見ることができるようになる。
 島原大変時の、津波災害からの復興過程、村方主導で、個別の住民の事情を把握して企画されていた状況。


 他には、天守管理が足腰と管理能力両者を兼ね備えないといけない激務だったこととか、17世紀初頭には高齢者夫婦や単身世帯がかなり高率であったという江戸時代の高齢化社会、天草島原の乱後に行われた大規模入植活動の話など。17世紀初頭も、都市が急拡大した時代だけに、若いのが移住して戻ってこない事態はけっこうあったのだろうなあ。
 藤木久志門下の学者だけに、ボトムアップ型の村落自治を高く評価する。私も、かなりそっちよりで、江戸時代の「民主主義」の達成はかなり重要だと思うが、ここしばらくの警察による黒人差別と殺害、その後のグダグダが、ボトムアップ自治を堅持するアメリカの国制に由来するものであることを考えると、情報化社会の時代には、自治単位が過小という事態は想定し得るだろうなあ。


 第二部は、『熊日新聞』の「くまにち論壇」に掲載された記事の再録。
 熊本地震文化財の問題、熊本城の利用と文化財としての価値、行政文書と政治のあり方、立憲政治の伝統などの話題が取り上げられている。


 熊本城の、熊本地震後の再建と二の丸公園の利用が、文化財保護委員に諮られないまま、行政主導で進められている問題。手続きとしてはどうかと思うが、同時に、二の丸公園に関しては、あの地で100年ほど学校が運営されていたことを考えると、神経質になりすぎる必要はないんじゃないか、と思うが。
 城址保存の理想例として人吉城が紹介されているのが興味深い。建物は一つも残っていないが、どんな武家屋敷があったか分かるように、礎石などを利用して表示されている。そういう点では、二の丸公園は、史跡としての利用が十分でないとは言えそう。まあ、その前に、奉行丸や西出丸で、どんな建物があったかの表示かなあ。
 しかし、国全体が、文化財で拙速に金を稼ごうという方向に動いているのはまずい感じが。それで、根底から、文化財としての価値を破壊してしまっては意味がないのだが。


 安倍政権が、なあなあで、今までの約束事をないがしろにしているのは確かだよなあ。問題は、日本全体が、改革病で、特定の勢力の利益のための利益相反活動が野放しになっていること。