日本茅葺き文化協会『日本茅葺き紀行』

 川島宙次『民家のデザイン』を読んで、茅葺き民家の棟仕舞いの姿がピンとこなかったので、それが写っている本を借りてきた。なるほど、こういう姿なのね。これは、作る方の腕前も必要そうだ。



 アイヌのチセから沖縄の竹葺きの建物まで、日本列島各地の、現在に残る茅葺き民家の文化を紹介する本。英文併記。
 アイヌのチセ、南部の曲家、秋田の中門造、山形県田麦俣のタカハッポウ造、会津盆地、筑波山山麓地域、関東山地の甲屋根、北信州地域、五箇山白川郷の合掌造り、京都府美山町東播磨地域、出雲平野の反り棟、筑後川流域の杉皮葺き、佐賀平野のくど造、九州沖縄の分棟造と高倉と、それに関連して、屋根葺き材の供給地や葺き方の紹介など。
 茅葺きって、基本的には植物の束を屋根材に紐で結びつけるわけね。で、二つの面がつながる棟部分が、雨漏りしやすいために、いろいろと工夫が必要になる。二つ折りにした茅を置き、それを重い物で固定したり、下地に結わえ付けたり。後者は、その紐から雨漏りしないように、さらにおおいをつける必要がある。棟仕舞に地域性があるというのがおもしろい。特に、東北の芝棟、芝土をおいて、植物を繁茂させて、その根で固定するやりかた。家の上にお花畑が出現して、野性味あるなあ。


 こうしてみると、現在、茅葺きの建物がまとまって生き残っている場所って、養蚕と関係が深いのが分かるなあ。田麦俣のタカハッポウ造、関東山地の甲屋根、北信州地域の茅葺き住居、合掌造りなど。比較的最近まで、実際に経済的重要性を持っていたからこそ、生き延びてきたのかな。屋根裏空間を養蚕の場所にしている建物が多い。
 あとは、貨幣経済との関係、南部の馬飼養とか、養蚕、あるいは筑波山麓は東播磨といった都市近郊の旧家といったところ。都市との取引で貨幣収入があり、かつ、茅葺きを維持する余裕があるところといった感じか。
 現在でも、茅場と結などの屋根葺きのための相互扶助が生き残っているところに。まとまって残っているとも言えそう。私などは、高いところ、全然ダメなんだけど、さらに、高いところで活動しないといけなんだよね。屋根の上でダンスを踊るような、沖縄の竹葺きとか、とてもとても…


 あとは、入手できる資源で、屋根葺きの材料が変わっていく姿。関東の山地部では、養蚕の拡大に伴って茅場が桑畑に転換。そのため、麦わらに転換。さらに、近代の拡大造林で杉皮も材料に含まれるように。筑後川流域も、昭和に入ってからの杉の植林拡大で、屋根葺き材に杉皮が多用されるようになる。
 その地域で入手できる資源にそって、建物の造り方も変わっていく。


 建物だけでなく、大きな茅場の紹介がおもしろい。熊本では、阿蘇の草原が茅の供給地として注目されつつあるといった報道があるけど、北上川河口、霞ヶ浦、富士山麓、琵琶湖などが大手なのか。
 カラー写真が多く、楽しめる本だった。