及川輝樹・山田久美『日本の火山に登る:火山学者が教えるおもしろさ』

 火山の魅力や危険を紹介する本。御嶽山の噴火のような危険もあるけど、代わりに火山独特の魅力ある景観を作り上げる。
 リスクを抑えて、いかに安全に楽しむか。御嶽山の噴火は強烈な印象を残すが、日常的なレベルでは、むしろ、火山ガスによる死亡事故の頻度のほうが高い、と。阿蘇火口でも、40年で8人死亡か。窪地にガスが溜まっていたり、温泉で死亡することも。御嶽山のような水蒸気爆発では、木造の建物でも、屋根がある場所に退避すると、死ぬ確率が下がる。屋根の下で死んだ人はいないという。のんきに動画撮ってたら死ぬわけね。ヘルメットは、落石などの他の危険にも対応できるので持って行ったほうがよいなど。
 これ、半径数キロに火砕流ばらまくような噴火への対応は書かれてないけど、結局、その種の噴火は前兆があるだろうってことなのかな。マグマが動かない水蒸気爆発が一番予測しにくいと言うが。


 第4章は、いくつかの火山群を取り上げての紹介。こういう解説があると分かりやすい。地理院地図の傾斜量図と付き合わせながらみると、よりわかりやすい。新しい時代の溶岩は、割とくっきり姿が見えて楽しい。
 険しい山脈の中に平坦地があったら、だいたい火山由来と考えていいのかな。あとは、ここ200年くらいって、火山活動が穏やかな時代だったんだなあ、とか。桜島の大正噴火とか、雲仙の噴火とか、西之島の噴火とか規模大きめのはあるけど、全国的に影響するような噴火はあんまり起きてない感じだし。一回の噴火で山一つできるのが基本な感じか。
 取り上げているのは、「蔵王山」、「八ヶ岳」、「霧ヶ峰・美ヶ原」、「北アルプスの火山」、「焼岳」、「御嶽山」、「霧島山」。それぞれ、単独の火山というよりは、「火山群」といったほうがよいレベル。噴火しては削られて、現在の形になっている。
 蔵王山御釜火口が17世紀にできた可能性が高いとか、霧島山の御鉢が778年と1234年の二回の噴火で形成されたとか、現在の景観が割と最近、しかも、激しく形成されているのだなあ、と。


 蔵王山、地図で見ると派手に削られて、崩落したっぽい地形もあって、なかなか怖い。「馬の背カルデラ」は、複数の火口が浸食されて、一つのカルデラっぽく見えているとか。


 八ヶ岳は、麦草峠の南北で容貌に違いがある。南側は古い火山で浸食されてゴツゴツしている。一方、北側は新しい火山で、浸食が埋められて緩やか。そこに森とコケで独特の景観ができると。横岳は、いかにもといった火口と溶岩流があるなあ。
 あとは、二度ほど派手に崩れているが、それに関しては以下参照。
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 霧ヶ峰というと、エアコンのほうが先に頭に浮かぶが、これは元ネタの八ヶ岳近くの高原。溶岩流が広がって、割と平坦な高原が形成された。諏訪湖周辺にはそんな山が多いとか。あとは、追分地溝とか、板状節理「鉄平石」が名物とか。
 地図を見ると、グライダー滑走路なんてのもあるんだな。諏訪湖CCの北の窪地が噂の鉄平石の採石場かな。


 北アルプスに関しては、北から白馬大池火山、立山火山、雲ノ平火山と鷲羽池火山、乗鞍火山が紹介され、焼岳と御岳が別項で紹介される。火山が豊富だな。そして、風吹山には浸食されていない火口もいくつか見られ、活火山と指定されるかも知れない。まだ、分からないことはいくらでもあるんだな。
 あとは稗田の崩れ。
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 南にいって、立山の鳶山崩れと弥陀ヶ原の噴火口。
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 さらに、南に行って黒部川最上流部の高原の平坦地雲ノ平火山とその南東の火口が残る鷲羽池火山。後者も、活火山扱いされるかも。そして、乗鞍火山。傾斜量図で見ると、けっこう派手に溶岩流が残っているのが印象深い。


 別項目立ての焼岳。上高地を流れる梓川上流部は、かつては西に流れて飛騨高山や富山平野方面に流れていた。しかし、焼岳火山の成長で、東に流れるようになった。それで、上高地だけ大きな谷ができている、と。上高地って、なんか、あちこちに崩落地系みたいな等高線になっているのが怖いなあ。そして、そういう頻繁に攪乱される地形だからこそ、ケショウヤナギのような寒冷地かつ広い攪乱地形が必要な場所が必要な植物が生き残った。
 20世紀前半には、頻繁に噴火を起こして、火口が明瞭に残っている。北アルプスでもっとも活発な火山なのだとか。


 つづいては、2014年の噴火が記憶に新しい御嶽山。二番目に高い火山。火口湖がたくさんあって、滝も豊富な火山。長い歴史と複雑な組成をもつ火山だそうで。ここ1万年程度でも、三の池火口から溶岩を流したり、継子岳から噴火していたり、五の池から火砕流が流下したり。なかなか派手にやっている。最近は、地獄谷の噴気活動が活発。そして、2014年噴火もそのあたりから。
 あとは、御嶽崩れなんて攻撃も。
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 最後は、かなり離れて、鹿児島宮崎県境の霧島山。いくつもの火山が群れて、山塊を形成している。地図で見ても火口がいっぱいあって楽しい山。
 最近活動しているのは、高千穂峰の西の御鉢、現在も活動中の新燃岳、えびの高原の硫黄山近辺など。御鉢は、先に述べたように8世紀と13世紀の活動で一気に形成。かつては、常に煙を噴いていた山だった。新燃岳は、18世紀初頭に噴火した、文字通り新しく燃えた山だった。いまは、派手に溶岩パンケーキなんぞ乗っけてるけど、かつては池があった。あとは、県道そばまで噴気活動を起こしている硫黄岳。そこから溢れた熱水が、川に流れ込んで、農業用水を汚染している。火口周辺では南に下っている川だけど、これ、その後グリンと北に流れを変えて、小林市方面に行っているのだな。
 韓国岳のミヤマキリシマの群落の謎解きがおもしろい。ちょうど寒冷期の終わり際に大噴火で、植生が壊滅。高木が居なくなった後、温暖化して、韓国岳山頂まで侵入できる樹木がこの近辺に出現しなかった。タイミングが絶妙だったわけだ。

 この噴火記録を丹念に読み解くと、面白いことがわかる。現在の蔵王のシンボルである御釜は意外に若いかもしれないのだ。江戸時代の初期、17世紀初頭の1625年の噴火記録には、御釜の名前は見つからず、現在の御釜周辺は「灰塚森」とよばれていた。つまり、御釜とはよばれていなかった。灰塚とは、おそらく火山灰・火山礫が積もってできた高まりという意味であろう。「○○森」は、東北地方では「○○山」という意味であることから、灰塚森とは、火山灰・火山礫が積もってできた山という意味であろう。ここには、火口湖の存在をうかがわせる証拠はない。
 その後、数十年間の休止期を挟んで活動を再開した17世紀後半の1668~1670年の活動以降、御釜とよばれていることが記されている。つまり、御釜の呼称は、それ以降から使用されるようになったのだ。御釜は噴火のたびに水があふれ、下流に洪水などの被害を及ぼすことがたびたびあった。この水があふれ出るようになったのも、御釜とよばれるようになった17世紀後半の噴火からである。現在のように、火口に水が溜まり、御釜とよばれるようになったのは、どうやら17世紀後半からのようである。それ以前にも火口湖はつくられたり消滅したりしていたと考えられるが、江戸時代の初めの17世紀前半は、御釜に水が溜まって居なかった可能性が高いのである。p.135-6

 へえ。意外と頻繁に光景は変わる。

 このような火山活動の熱で地殻が変形しやすくなっている現象は、他の地域でも認められる。2011年3月11日の東日本大震災地震で、東日本は東に強く引っ張られた。このときの地殻変動を詳しく調べると、火山のある周辺だけ周囲より少し低くなった(沈降した)ことがわかった。これは火山の周辺がその熱で柔らかくなって変形しやすいことから、そこがより変形して沈降したものと考えられている。p.166-7

 へえ。火山のまわりでは断層が発達しにくいという。おもしろい。