黒田基樹『太田道灌と長尾景春:暗殺・反逆の戦国史』

太田道灌と長尾景春 (中世武士選書43)

太田道灌と長尾景春 (中世武士選書43)

  • 作者:黒田基樹
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 関東の戦国時代の前半期に活躍した大立物二人の評伝。ただでさえぐっちゃぐちゃの室町末期・戦国はじめの政治過程にダブル主人公ということで、どうも、頭に入り切れていない感じが。
 つーか、両上杉勢、基本的に弱すぎないか。古河公方に自力では、基本的に負けが込んでる感じだし。


 山内・扇谷上杉家鎌倉公方の対立は、享徳の乱へと発展する。両者の全面戦争は、室町将軍の命令による越後上杉、駿河今川の援軍もあり、公方足利成氏は鎌倉を捨て、自らの与党が多い古河に拠点を移し、古河公方とよばれるようになる。
 その後、28年間にわたり、継続的に戦争が続くことになる。


 扇谷上杉家の家宰、太田氏と山内上杉家の家宰、長尾孫四郎家の台頭。家を代表しての交渉など当主の代行や軍事指揮を行うと同時に、家臣団の傍輩の進退を支援することが重要な職務であった。家臣団の権益を確保するために、縁戚関係にある両家宰は、丁々発止の交渉を行っていた。
 太田道灌は、江戸城という境目の城を任され、そこから家宰と同時に、江戸近辺の領域支配者としての正確を強めていく。周辺の寺社領の代官人事や恒常的戦争にともなう軍事指揮権、周辺領域からの物資徴発など。一方で、扇谷上杉家の家宰として、外交や家臣団の権益擁護を行う。
 一方、山内上杉家の家宰は、景仲、景信と二代にわたって長尾孫四郎家の当主が務め、家職化が進んでいた。しかし、景信が死去。景信の実弟尾張守家の養子となっていた景忠が家宰に任命される。ここで、本書のもう一方の主役、長尾景春が登場する。20代から10代後半と見られる景春は、その若さから、家宰に任命されなかった。しかし、それは孫四郎家が保持していた家宰としての権益が持って行かれることであり、配下の被官や傍輩の没落に直結していた。
 このため、道灌の仲裁の努力は実らず、長尾景春は反乱に追い込まれる。鉢形城を拠点に、上杉方の拠点であった五十子陣の後方を脅かし、最終的に崩壊させる。両上杉の当主や景忠は、上野に追われ、さらに、古河公方の軍勢に脅かされることになる。
 この状況で、武蔵側に残った唯一の有力者であった道灌は、主力として渡り合い、最終的には景春を武蔵から没落させることになる。


 また、同時期に室町将軍と古河公方の和睦交渉が長時間にわたって行われ、最終的に1483年に和睦が行われる。しかし、長い間にわたって争ってきた両者が、あっさりと和解できるはずもなく、反対する勢力は多かった。それが、新たな展開、そして、扇谷上杉家当主、定正の太田道灌殺害へとつながる。
 ここから、新たな騒乱、山内・扇谷の両上杉氏が争う長享の乱へと発展していく。
 太田道灌山内上杉氏と関係悪化していたというが、道灌の死を契機に軍事介入していることを考えると、道灌粛正の原因は、道灌主導の下総侵攻をめぐる対立や、当主定正やその養嗣子朝良の側近として台頭してきた曾我氏との家宰職をめぐる争いの比重が大きかったように見えるが。


 そして、最後は、武蔵没落後も傭兵隊長的な立場で戦い続けた景春の軌跡。よっぽど、顕定に思うところがあったんだろうなあ。古河公方の配下に入ったり、扇谷家の戦力として活動したり、そして、最後は伊勢宗瑞と組んで山内上杉との戦い。宗瑞と上杉氏の和睦で、最終的には今川の駿府で生涯を終えた。波瀾万丈だなあ。
 一方、嫡子は山内上杉氏に帰順して、最終的に白井城を任され、白井長尾氏として国衆化していく。


 しかし、この時代の主要人物ですら、細かい情報が欠如しているのだな。あと、在地社会の細かい情報が欠如していて、現実にどのような権力様態であったのかもわかりにくい。
 道灌の先祖が確実には祖父の代までしか追えないというのが、織田信長みたいな感じだなあ。家宰クラスだと、そこまで由緒は要求されないということなのかねえ。
 そもそも、関東の地理的知識やこの時代の登場人物の知識の欠如から、全体に消化しきれていない感が。室町後期は複雑怪奇。