山田邦明編『関東戦国全史:関東から始まった戦国150年戦争』

 タイトルの通りの、関東の戦国時代の通史。享徳の乱から始まって、50年くらいのスパンで構図を変えながら、継続的に戦争が行われる時代。こうしてみると、自分が住んでいる九州を中心とする西日本は、なんとなくイメージがあるけど、東の方は全然知らなかったなあ。本書と黒田基樹太田道灌長尾景春』をあわせて読むと、戦国初期のイメージがわりとできる感じか。


 第一期は、15世紀後半。1454年から1505年にかけて。
 この時期は、まだ、室町時代の延長にある勢力が争う。鎌倉/古河公方山内上杉氏、扇谷上杉氏の三者がメインプレイヤー。西側が上杉氏系、東側が古河公方の勢力範囲と大まかにわけられる。最初は、古河公方と両上杉氏が激突する享徳の乱。30年という長期化の上で、山内上杉氏の勢力が長尾景春の乱で分裂、混乱。最終的に、古河公方が足利将軍と和睦して収束する。
 しかし、直後に、太田道灌の暗殺に端を発した山内と扇谷の両上杉氏が衝突することになる。両者に、北条氏、古河公方が関わる形で、戦乱は長期化。最終的に、扇谷上杉氏が敗れる形で、決着。長享の乱と呼ばれる。
 しかし、上杉勢、なんか弱いような気がする。だいたい、駿河今川か越後上杉の援助を受けて戦っている感じがある。逆に、東には、ある程度の規模の国衆が盤踞して、古河公方の地盤になっていた。


 第二期は、16世紀前半。1506年から1559年にかけて。
 古河公方が父子や兄弟間で分裂抗争を繰り返し、山内上杉顕定が、越後に侵攻して戦死。山内上杉氏内で継承をめぐる抗争が起きる。その中で、伊勢/北条氏は、伊豆から相模へと勢力を伸ばす。相模の中部から東部に勢力を持つ三浦氏との戦いを制して、相模を抑える。そして、武蔵へと勢力を伸ばし、江戸城を押さえる。
 その後、両上杉氏や里見氏と一進一退の攻防を繰り広げるが、第一次国府台合戦によって小弓公方を撃破、甲相駿同盟の結成、川越夜戦といった一連の勝利によって、武蔵・上野も押さえ、古河公方を傀儡化することに成功する。


 第三期は、16世紀の第三四半世紀。1560年から1578年の期間。
 いったんは、武蔵・上野を押さえ、下野・上総・下総への影響を及ぼすようになった北条氏が、上杉謙信の関東侵攻によって、押し返される。この時期になると、常陸の佐竹、安房の里見、下野北部の宇都宮氏や結城氏といった国衆が主敵になる。一度は、小田原が包囲されるなど、上杉軍の越山に苦しめられる北条氏だが、1566年の下総臼井城攻めの失敗から、徐々に逆転していくこととなる。
 さらに、桶狭間以後の展開による武田氏との対立が激化。小田原を攻撃されるなど、苦戦を強いられるようになる。いったんは、上杉謙信と同盟を結んで、しのごうとするが、謙信の行動が消極的だったために、最終的に、北条・武田の和睦で幕を閉じる。
 また、東関東では、佐竹氏や下野の国衆の同盟によって、北条氏は進出を阻まれる。


 第四部は戦国の終焉。1578年以降。
 上杉謙信の後継者をめぐる争いで敵対関係に入った武田・北条の抗争で、武田氏は上野に進出してくる。しかし、その後、武田氏滅亡、滝川一益の上野入部、本能寺の変による北条氏の上野・信濃侵攻と激動が続く。
 北条氏と徳川氏が和睦、同盟関係になりいったん安定するが、その後、沼田領をめぐる問題から、北条領国は秀吉軍の侵攻を受けることになる。「小田原征伐」によって、北条氏は滅亡、その支配下の国衆たちも改易され、豊臣政権下の諸大名の家臣として再出発することになる。
 一方、北条氏に従わなかった関東東部の諸大名も、最終的には改易ないし関東外へ国替えされ、「誰も居なくなった」という状況に。常陸一国を押さえた佐竹氏は、その後、秋田に転封。秀吉によって宇都宮氏が、徳川家によって里見氏が改易。結城氏は、越前松平に換骨奪胎、移転。最後に残ったのは、公方の系譜をひく喜連川氏のみとなる。


 そういえば、近世化の過程はどこもエグいけど、佐竹氏の常陸国衆潰しも、なかなかにエグいなあ。