『ミリタリー・クラシックス』Vol.71

 今号の特集は二式戦鍾馗ソ連IS戦車。二式戦は、ちょうど、「戦翼のシグルドリーヴァ」で宮古ちゃんが乗機としていて、タイムリーですな。


 第一特集は、二式戦「鍾馗」。
 個人的にはわりと好きな機種。癖のある重戦とか、良いっすね。P-40やアリソンムスタングと、一撃離脱で真っ向勝負して、圧倒できるというのは、大戦前半としては最強だったのではなかろうか。これを使いこなしきれなかったのが、陸軍航空隊の限界とも言えそうな…
 高速重武装の重戦闘機として構想され、そのために、入手できる大馬力エンジンが爆撃機用の大直径エンジンハ41しかなかったことから、太くて短い機体のデザインが決定された。結果として、高速の戦闘機が実現したが、太くて短い胴と高速のための小さい翼は、相応の欠点も内包していた。水平の回転に入ってしまう不意自転の傾向が強く、また、着陸速度もかなり速い機体になり、熟練操縦者のみに搭乗が限られてしまうことになった。エンジンのハ41/109の信頼性が低く、それが実戦用の戦闘機としての足を引っ張った。さらに、航続距離が比較的短かったことが、足枷となり、あまり数が作られなかった。
 そして、さらに性能の高いエンジンとなると、誉に載せ替えることになる。しかし、戦闘機用の直径が小さいエンジンを載せるなら、胴体の設計から変更する必要があり、性能向上型ではなく、新規に開発された四式戦「疾風」へと発展的に解消されていくことになった。
 最初の試験の段階では操縦性の低さから、戦闘機失格寸前だったが、メッサーシュミットBf-109との模擬空戦で互角に戦ったことから、道が開けた。また、スピットファイアが投入されることを危惧して、アジアの英領攻撃のために41機が、準備された。迎撃機として、本土やパレンバン満州の製鉄所など重要地点の防空に従事した事例が多いが、中国やビルマでは、対戦闘機戦闘にも従事している。
 雷電との比較も興味深い。鍾馗の試作機が完成した頃に、雷電の搭載エンジンが決まった時間関係で、この時期の技術発展の速度からは、一世代差と表現できる。また、雷電は延長軸と冷却ファンという新機軸を取り入れ、意図的に太い胴体を導入したことから、580キロどまりになってしまった。


 第二特集は、ソ連重戦車ISシリーズ。
 第二次世界大戦の重戦車のコアテクノロジーは、変速機だったのだな。重戦車では、ここに負担がかかる。ドイツ戦車と比べて、後部に変速機を装備したソ連戦車は、ギアが固いという欠点はあったが、引き出しての大整備が簡単に可能で、稼働率が高くなった。また、ここに二重デファレンシャルギアの繰向装置を奢ったティーガーやIS-2は、不整地ではT-34に勝る機動性を発揮したという。
 鈍重と言われるKV戦車が、戦車のデザインコンセプトとしては、クリスティサスペンションからトーションバーサスペンションへ、砲塔も三人乗りが前提と、T-34より新しいものであった。
 重戦車は機動性の問題などから、先行きが怪しかったが、ティーガーパンターといったドイツの新世代戦車が砲力で勝ってきたことから、改めて取り上げられることになる。これらに、対抗するために、無理を承知で、122ミリ砲が搭載された。しかし、それは弾薬搭載量や分離装薬による速射性の低下を忍んだものでもあった。同時に、伝統的な「突破戦車」として、重防備の陣地を破壊し、突破を助ける先鋒としての役割も期待され、連隊や旅団が軍団レベルに配備された。
 無線士を廃止して、中央に操縦席を配置するデザインによって、車体の幅を抑制し、重量抑制に成功している。あとは、品質基準を意図的に下げているという話も興味深い。転輪は欠け落ちている物も見られるが、それが問題を引き起こす以前に、兵器の寿命が尽きるという冷徹な視線。
 傾斜装甲と100-120ミリの正面装甲というカタログスペック上は重厚な防御が施されているが、そもそも靱性の低い鋳鋼で、素が入ったものが多く、防御力不足は不満が持たれていた。そのため、半球形砲塔にくさび形に溶接した均質圧延装甲の車体と、異質な形のIS-3戦車が開発された。IS-3かっこいいんだけど、砲塔装甲に亀裂が入りやすいとか、車体前面装甲の溶接が剥離するとか、パワーパックのマウントが脆弱で振動が激しいとか、欠陥が大きくて、実戦に投入するのは難しかったのだな。
 ほとんど一種類のディーゼルエンジンでまかなえた、ソ連戦車のエンジン。しかも、戦車のエンジンを主にディーゼルでまかなったのは日本とソ連のみとか。
 ISシリーズの初陣、IS-85のチェルカッシー包囲戦へのデビューは、ほぼ一方的に撃破されるほろ苦いものであったというのも印象深い。パンターティーガーを相手するには、攻防力両方で足りなかった。しかし、T-34はもっと足りていなかった。そのため、100両強しか生産されなかったIS-85は終戦まで前線にとどまった。70両ほどが、終戦まで生き延びていたという。T-34との比較優位で価値があった。

有馬桓次郎「ミリタリー人物列伝」

 今回は、潜水艦による遣独作戦の帰路、ドイツの降伏によって、U234艦内で自決した友永英夫中佐の話。自動懸吊装置や重油漏洩防止装置を開発した、潜水艦技術のエキスパート。しかし…
 あとは、積み荷の「酸化ウラン」の謎。

白石光「特殊作戦行動:64:『サンスーシ』作戦/『カルロス』作戦」

 ドイツ軍のデンマークノルウェー侵攻作戦の過程で実施された特殊作戦の話。ポーランド戦後に、アプウェーア主導で特殊部隊ブランデンブルクが組織、実戦投入された。デンマークでは、鉄道駅をダッシュする「サンスーシ」作戦が成功裏に行われた。ノルウェーでは、浸透作戦「カルロス」が実施され、主力部隊の誘導や通信線破壊に従事した。

すずきあきら「WWⅠ兵器名鑑」

 ツェッペリン飛行船による作戦の後半。
 探照灯、高射砲、夜間戦闘機の充実や指揮システムの構築で損害がかさむ一方、活路を高高度に求めていく海軍飛行船部隊。しかし、高高度では低酸素・低温に乗員が苦しむことになった。最終的に、1918年8月6日の作戦で、飛行船部隊の指揮官、シュトラッサー中佐の戦死によって終止符が打たれる。飛行船は、防御が薄い地域の監視にはともかく、攻勢任務には脆弱すぎた、と。
 一方、陸軍は飛行船を早々に見限って、重爆撃機に注力。戦争後半には、ロンドン爆撃に投入されることとなる。

吉川和篤「Benvenuti!知られざるイタリア将兵録」

 前号での特集でもちょっと出てきた、イタリア空軍部隊の東部戦線派遣のエピソード。MC200はともかく、MC202は全然活躍してないなあ。

松田孝宏「奮闘の航跡:この一艦」

 起重機船蜻州丸の話。軍縮条約で廃止された戦艦の砲塔を、沿岸要塞の備砲に転用するために建造された特殊艦。戦艦の砲塔を収納し、運搬、陸揚げするのが任務で、各地の要塞に輸送するために働いている。
 その役割が一通り終わった後、戦争による沈没船の引き上げに活躍することになる。日中戦争時の上海周辺の水路啓開、太平洋戦争開戦後は香港、シンガポールなどで活動。戦後は、イギリスに引き渡され、香港で活動。1947年の活動の情報があるが、最後はよく分からない、と。
 外洋行動可能なのが、便利だったのだろうなあ。

野原茂「蒼天録」

 ビルマでのモスキート狩り。高速のモスキートに追いつくのは困難だったが、距離を取って、上空から追いかけ、巡航速度に戻ったときに、急降下で襲撃することで、隼でも撃墜に成功している。後半は、「生け捕り」失敗のエピソード。こちらでは、視界が塞がれている下後方から接近か。見張りは大事、と。