中脇聖編『家司と呼ばれた人々:公家の「イエ」を支えた実力者たち』

家司と呼ばれた人々:公家の「イエ」を支えた実力者たち

家司と呼ばれた人々:公家の「イエ」を支えた実力者たち

  • 発売日: 2021/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 タイトルの通り、公家の家政を支えた家政職員について、通史的に扱った文集。なんか、近代ヨーロッパの貴族に付いてる執事みたいなもんかというイメージだったけど、もっと多様な感じかな。いや、ヨーロッパの執事のイメージも相当ゆるふわだけど。


 第一部は「家司の身分と役割」ということで、様々な時代の家司の姿を紹介する。

  • 第一章 樋口健太郎「家司の発生と展開:古代から院政まで」
  • 第二章 菅原正子「家司になった人々:日野家の家司を中心に」
  • 第三章 神田裕理「山科家家司・大沢久守:多芸多才な補佐役」
  • 第四章 遠藤珠紀「年中行事からみた家司:摂関家に仕える人々」

 家司というと、個人的関係でしっかりとつながった人というイメージだが、複数の家に関わっていたり、公的な官職と兼業とか、いろいろな関わりがあるのだな。
 第一章は、古代の家司の展開。もともとは律令の規定で最上位貴族につけられ、報酬も国家から支給された国家官職であった。それが、10世紀に私的なシステムが卓越してくる段階で、政所や侍所が設置され、私的な主従関係でむすばれるようになる。摂関時代には、受領を兼任する受領家司が、その後、影響力が衰え受領家司がいなくなると預所など現地管理ポストを与え、摂関家財政を支えることが重要な業務であった。また、預所という私的ポストが相続可能になり、家司の世襲化が進む。なんというか、経済的権益を与えられる代わりに、それを管理して摂関家の財政を支えることが重要任務だった。
 これが、院政期になると、蔵人や弁官を兼務する家司が多くなる。彼らは、弁官職や蔵人職を家業として世襲するようになった家の人々であった。実務官人として様々な儀礼のノウハウを集団で保持し、他の権門との調整も可能だったからこそである、と。
 第二章は、室町将軍の姻族となって権威を上昇させていった日野家の家司の変化を紹介。家格によって、四・五位で昇殿できる殿上人、四・五位で地下人の諸大夫、六位クラスの青侍と家司の位階も上昇していく。青侍から、トップに諸大夫が交ざるようになる。また、青侍クラスの家司は、地下官人のポストや荘園の代官ポストも兼任する独立性の高い存在であった。あるいは、支配下の荘園の在地有力者が採用されていたり。
 現地からの収入を確実に確保し、本家があればそちらにも納入するのが、重要な任務だった。
 第三章は、衣紋道など装束に関する故実を家業とする山科家で、15世紀後半に家政を支えた家司、大沢久守について。この人、有能すぎるだろう。家政を取り仕切り、山科の在地武士として地域住民を組織できる体制を維持し、衣服の染色を手ずから行い、生け花の名手として朝廷でも評価される、八面六臂の活躍。というか、ここまでいろいろやってると、そもそも、当主のお仕事ってなんなんだろうという感じがw
 第一部の最後は、年中行事に着目している。それぞれ、家司が担当の儀礼を割り振られ、自分に与えられた経済的権益から、必要な食事・供物、調度・人員などを準備する。そういう点では、必ずしも、主家と強く結びついている必要はないのかな。
 あとは、故実のマニュアルとしての日記の重要性。そして、家司と主家では、そのような日記の情報が交換される。


 第二部は、「中世摂関家と家司」。

  • 第五章 樋口健太郎「成長・台頭する家司と摂関家保元の乱から鎌倉時代まで」
  • 第六章 湯川敏治「戦国期、近衛家の家政職員:進藤・北小路両家を中心に」
  • 第七章 岩本潤一「信濃小路長盛と戦国の九条家三代:下向・不如意・出奔」
  • 第八章 中脇聖「摂関一条家と土佐一条家に仕えた『家司』:その顔ぶれと動き」

 中世に入り、摂関家がますます力を失っていく中で、家司との関係がどのように変化していったか。
 第五章は、分裂抗争する摂関家に対して、家司たちがどのように対したか。保元の乱では、対立に巻き込まれて、多くの家司が改易されたが、その後は、平氏と結んで逆に相続を操るようになっていく。平安時代末期以降、五摂家の分立が固定化していく中、執事職は特定の家が請け負う家業に変化。若者を名目的に職に就けて、家長が実務を取り仕切るようになる。なんか、入れ子状に形骸化しているのが印象的。さらに、鎌倉後期になると、力を失った摂関家から家司は離反していく。勤務状況が悪化して、集まらなくなる。礼をとらなくなる。摂関家の権威が低下して、実務を取り仕切る階層から舐められるようになる状況。きちんと報酬を出して、引き留めようとするが、それでも離反の傾向は覆しようがなかった、と。
 第六章は、室町末から戦国時代の近衛家の家政職員がどのような仕事をして、どのような報酬を得ていたのかを日記類から検討している。歌会や鞠会などのイベントへの参列、当主に代わっての挨拶、現地に赴いてのトラブル対応などの使者、現地に赴いて武士と折衝しながらの年貢確保、文書発給など。他の公家では直接給与支払いも見られたが、近衛家では荘園などの所領を管理させて、収入の一部を分け与える形であった。また、官位の推挙などの目に見えない報酬もあり得た、と。
 第七章は、九条家の戦国。三代にわたって九条家当主を支えた信濃小路長盛の姿。つーか、長盛有能すぎるだろう。次々とやめさせられていく中、一人板挟みを生き抜くとか。日根庄の維持が焦点だったのかね。それで家司が成敗されたり、当主の政基本人が現地に赴いたり。「政基公旅引付」は有名だね。知仁親王元服の費用を調達するための困難な借金交渉。そして、室町将軍を背後にした近衛家との対立で出奔、諸国流浪。波瀾万丈すぎる。つーか、信長の時代にも三好家のフィクサーみたいに暗躍したんかい…
 第八章は、土佐に土着した系統と京都で公家を続けた系統に別れた一条家の家司がどのように構成されたか。こうしてみると、源、安倍、中原、紀、高階と古代を思わせる苗字が多いなあ。ほとんどの時代、共通の一族から出ているが、土佐一条家最後の当主兼定の時代には、源康政がほとんどの文書発行を担っていた。結局、彼がすべて取り次ぐ公家スタイルの統治で、地域権力としては未成熟なままだった、と。


 第三部は、「中世以降の家司の姿」ということで、主に近世の公家家司について、

  • 第九章 水野智之「豊臣政権期の家司と官人:武家との相克から身分の保障へ」
  • 第十章 西村慎太郎「近世堂上公家の家司:久世家を事例に」
  • 第十一章 田中暁龍「近世公家の家内騒動と家司:摂家清華家を中心に」
  • 第十二章 千葉拓真「近世の公武間交際と二条家の家司:加賀藩前田家との関係を事例に」

 豊臣秀吉の政権確立期から近世を対象にしている。
 第九章は、豊臣政権下で、公家社会の再編がメイン。小牧長久手の戦いなどの徳川・織田との戦争の時期に、公家社会の豊臣からの離反工作が行われ、禁裏六丁町の町民、実際には公家の家司が拘禁された事件の紹介。その後、武家の位階を通じた統制手段として武家清華家の創出が行われ、それと同時に朝廷の再編と儀式の復興が行われた。聚楽第への行幸の準備で、地下官人の再編、さらに儀礼にともなう給与が行われ、身分が保障された。また、彼ら地下官人は、その業務だけでは生計が立てられないので、公家の家司も兼ねる場合が多かった。
 第十章は公家としては、地位が高くない久世家の家司の活動を題材に、どのような業務を行っていたのか。だいたい、年に12両くらい必要な中、家司の給料は3両程度。これで、どうやって勤務のモチベーションが維持できたんだろうな。地下官人や上賀茂神社の社家などの別の収入源があった人々であった。領地との連絡折衝、出入り業者との交渉、使者役や当主への随行武家との援助交渉などの任務に従事した。で、実際に掃除などの力仕事をする下部たちは、派遣や年季奉公。奥向きの女性たちは別組織。で、料理長はやっぱり特別、と。
 第十一章は、近世公家の家内騒動について。広幡家のような当主の不行跡、あるいは、今出川家や一条家のように幼い当主が、外部から養子で入ってきたあと、家内秩序が揺らぐことがあった。家内統制ができず家司の派閥抗争や当主を軽んじたために追放されるなどの事件が起きる。具体的には、どんな行動や背景があったんだろうなあ。
 最後は、大名と公家の婚姻によって、関係先の大名に公家が財政援助を乞いに行く状況。大名側も、「無心」といって迷惑がりながら、ある程度の資金援助を行っていた。また、大名家側にとっても、前田家の家督相続時に天皇上皇に献上を行う儀礼の際に、実施担当者との交渉の窓口として、このような懇意の公家というのは必要とされていた。そして、このような大名と公家の具体的な交渉において、金沢まで赴いて交渉するなど、実際の交渉を担ったのは家司たちだった。
 こういう京都の公家との交際、他の大名もやってたんだろうなあ。細川家はどこと結んでいたのだろうか。京都に所領を持つ築山家という家臣が居たそうだが、彼らはどのような行動を行っていたのか。