萎え

 せっかくいい天気だったのに、出かけ損ね。近場で桜でも撮ってこようと思っていたのだが。
 代わりに、室内の整備。飾り棚の下に滑り止め噛ませて、上に突っ張り棒を設置。棚の天板がフヨフヨの合板だったから、どうも、強度に不安があるのだが。板買ってきて、下に噛ませるべきだったか…
 あとは、別の棚から物を移して、移した後に本を入れる作業が待っている。


 ここのところの、ツイッターの騒動で、わりと中世政治史に萎えた感じがある。
 亀田氏の「日本嫌いなのに、何で日本史研究したんだろ?w」にプッツン来て、思い出し怒りしている間に、呉座氏が別方面で社会的生命を絶たれかけて、それに平山氏も関わっているという。南北朝から戦国あたり、しばらく見たくない気分だわ。
 亀田氏は個人的にガチギレな物言いだけど社会的にセーフ。むしろ、以前に決裂していて、巻き込まれずにすんだ感があるなあ。一方、呉座氏はわりと社会的にアウトだよなあ。ネットストーカーというか、アレを見せられた当事者は怖いんじゃないかな。あれだけ悪意を振りまいてしまうと、むしろ当事者よりも見てしまった人間が猛り狂っていて、収拾が付かない感じ。なんか、呪いのページみたいになってるなあ。実際、どういう立場に立つにしろ、負の感情が増幅される感じがある。
 しかし、日文研はどう処理するつもりなんだろう。「日本文化研究の国際化」という組織の使命に反する言動だと思うけど。法的に落とし前付けて、それを前提に処分する形が、組織としてはいいんだろうけど。ネットストーカー案件を人事的処分に落とし込むの難しそうだし。


 亀田氏の「日本嫌いなのに、何で日本史研究したんだろ?w」って、なんかほんとにこう、ムカっとくるものがあるな。消しても、アレを目にしてしまったら感情が収まらないというか。こうやって、吐き出して、治まりつけないとどうにも。
 あれ、ネトウヨがよく使う「日本が嫌いなら出て行けばいいじゃない」と同根の言葉だから、うけるほうは相当強く感じるんだよなあ。「自分の認める歴史観以外は歴史学じゃねえ」的な言明にしか受け取れない。軽くペロッと出された言葉だから余計、許しがたいというか。つーかさあ、アジア地域を職場にしていて、そんな排外主義的な感覚匂わせて大丈夫なんですかね。
 そして、あからさまに政治的な文書である記紀をそのまま受け入れる思考が、職業的能力を疑わせるという。


 呉座氏に至っては、近代の陰謀論に丸はまりで、陰謀論とか、歴史修正主義なんかによくもまあ口を出せたなとしか。こちらは、職業的信頼感も地の底に落ちた感じしかしない。
 亀田、呉座両氏とも、もう、著書読める気がしない。まだ読んでない本が何冊もあるんだが、どうしてくれる。


 なんか、ツイッターあたりでああいう論争的な世界に浸ってると、ほんと暗黒面に引き込まれるんだなあ。注意して、距離を取ろう。