新雅史『商店街はなぜ滅びるのか:社会・政治・経済史から探る再生の道』

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 うーん、微妙に読みにくかった感が。文章が生硬なのか、節を細かく分けたのが逆に分かりにくくなっているのか。あとは繁華街と「商店街」の区別がいまいちよく分からないとか、「商店街の理念」というのがきっちりと説明されていないような気もするとか。
 全体としては商店街という存在の有用性の指摘かな。商店街という存在が20世紀に新たに作られたものであること。都市の零細小売商人の経営の安定と社会的上昇に資したという指摘。さらに個人商店が「近代家族」によって担われていた点で「近代的」存在であるということ。正規雇用と自営業という二つの選択肢のうち、自営業という選択肢が失われている状況が、若年層のライフコースの不安定を拡大しているのではないかという問題意識は納得するところが多い。
 第一章は総説的な部分。全体的な議論の前提や構成、社会理論が自営業者という存在を等閑視してきた問題点を指摘。
 第二章は商店街という「概念」が出現する過程と戦時体制の小売業規制がそれを定着させた状況を描く。大正から昭和初年の不況は農村から都市への人口流入をもたらした。同時期に、大企業による小企業の買収と工場の現場での雇用システムの変化が起こり、新来者は企業で雇用を得るのが難しい状況になった。これらの人々は小売業に流入し、小売商店の過剰と短期間で廃業する不安定状況が出現した。この状況に対し、百貨店や協同組合、公設市場といった最新の商業システムを取り入れ、ハイブリッド化し、零細小売業者の専門化と安定を目指したものが商店街であった。このような商店街、特に地元密着型のものは、1930年代以降の戦時体制のなかで、自由主義的な経済から統制経済への変化によって定着した。小売店舗の距離制限など地域ごとの割り振りが行われた。
 第三章は高度経済成長期。消費者運動と小売業者の対立。その対立も、国家の生産力増強に利用された状況。小売業者の圧力団体化とそれによる規制の正当性の喪失。さらに、ダイエーを嚆矢とするスーパーの拡大と「流通革命」。
 第四章は80年代以降。サラリーマン中心主義の社会観の形成と企業を中心とした福祉社会の形成。プラザ合意以降、貿易黒字削減のための内需拡大の必要から大規模な公共事業が行われ、大規模な国道バイパスの建設とその沿道への大規模商業施設の建設。それによって、地域単位の商業システムが破壊される状況。この結果、酒屋や米屋を中心にコンビニへの業態転換が行われ、既存の商店街というシステムは内部崩壊する。
 第五章は今後に向けて。福祉を給付と規制、地域と個人の二つの軸で四象限に分割して議論している。80年代以降の規制緩和による規制という福祉手段の解体、さらに小泉改革以降の給付の削減の結果、日本の福祉の解体状況。そのなかで改めて、社会の安定の手段として規制を利用すべきではないかとの提言。さらに近代家族による個人の資産となっている小売りの自営業を、協同組合的なシステムによって社会に開く必要があるのではないかという指摘。自営業という生業と社会的上昇の手段の提供は実際、ありだと思う。現在、価格破壊と規制緩和による小売業の法人化が進んだ結果、昭和初期までのような都市貧困層が多量に存在する社会へと回帰しつつあるように見える。そこに、安定した自営業という政策を再度導入するのは有りなのではなかろうか。また、地域のメンバーとしての自営業者は、治安や危機管理にも有効だろうと思うし。


 以下、メモ:

 このように、自分でビジネスをおこなうこと――つまり自営業者になること――は、「冒険性」と「保守性」という極端なイメージに切り裂かれている。だからこそ、自営という選択肢は、ほぼありえない選択と受け止められるのだろう。
 昨今、若者たちのチャレンジ精神がなくなったという嘆きの声が多い。しかし、それはおよそ見当違いな解釈である。自身の身を顧みずに事業を興すことが「チャレンジ精神」ということではないはずだからだ。働くことで、どれだけ先の見通しがたつのか、また、それによって安定した暮らしが実現するのか、そうしたことを考えるのは当然である。だが、その肝心要のところが不透明であるからこそ、仕方なく「雇用の安定」を選んでいる。p.17

 その側面は大きいよなあ。まあ、飲食店なんか、かなり短命だからリスクが高いのも確かだし。

 わたしたちは、何らかの規範のなかで生きている。にもかかわらず、少なくない経済学者が、ルールのない状況を理念的に設定して、規制について批判をおこなう。こうした反規制という態度こそ、一種の信仰といえるだろう。p.21

 少なくとも、政策提言のレベルだと、常に反規制になっちゃうんだよなあ。

 社会学では、親族集団の家族と区別するため、経営体としての疑似血縁組織を「イエ」と呼ぶ。親方‐子方から成る「イエ」、家元制度の「イエ」である。近世における商家は、典型的な「イエ」であった。すなわち、それは家長とその親族、そして住み込みの奉公人たちで成り立っていた。もし経営体の存続が危機になれば、「非親族的構成員」(中野卓)である奉公人が経営を引き継ぐことも決して珍しいことではなかった。
 だが、近代の小売業は、「イエ」の規範ではなく、「近代家族」によって担われていた。つまり、二〇世紀以降の小売商は、近代家族の規範のもとで事業をおこなったために、近世の商家に比べてはるかに柔軟性のない組織となった。
 わたしたちはこのことを「跡継ぎ問題」としてよく知っている。現代の小売商は、子どもが跡を継がないと、そのまま店をたたむケースがある。商店街は、地域に開かれている存在であるはずなのに、それぞれの店舗は「家族」という枠に閉じていたわけである。p.28-9

 個人商店が「近代家族」によって担われていた状況。

 ある商品のどれくらいのコストがかかるかは無視してよい、消費者が求める価格こそが唯一絶対の正義である。これが中内のいうバリュー主義である。中内のバリュー主義は、生産者優位社会に対する批判から掲げられた理念であったが、この考えは、コストを切り詰めるためには、販売者の所得を引き下げても仕方がないというものだ。こうした考えは、消費者を優先することで、コミュニティの一員である販売者を切り捨てることにつながる。かくして、中内の「流通革命」と「バリュー主義」は、「商店街」という理念を根底から否定した。p.128

 このバリュー主義って、批判理念としては有効だけど、これが主流の理念になってしまうとデフレしかうまないよな。誰かが割を喰うと。

 日本の高度成長をささえたのは企業につとめる(男性)都市勤労者たちである――こうした企業中心の日本社会イメージがオイルショックをきっかけとして強まる。そして、そのイメージをもとに都市勤労者家族を前提とした公共政策の方針がつくられたという点で、自由民主党による一九七九(昭和五四)年の「日本型福祉社会論」がきわめて重要である。日本型福祉社会論とは、オイルショック後の西ヨーロッパ社会――とくにイギリス――を反面教師とした福祉構想のことである。p.147

 あとは略するが、サラリーマンと専業主婦を中心とした社会保障システムの構築って話。ここで、正社員とその家族を単位とした福祉制度を構築したことが、後々の禍根となっているよなあ。本当は個人を中心とすべきだったのに。

 大店法の運用の問題が取りざたされたのが、ダイエーの熊本進出の際である。
 ダイエーは、一九七五(昭和五〇)年に、熊本市への出店計画を明らかにするが、その予定店舗面積は約四万四〇〇〇平方メートルと、当時熊本市内にあった二つの百貨店の店舗面積の合計に達するほどの大きさだった。
 危機感を抱いた地元商業関係者は、地元での調整以前から、出店拒否という態度を明確に表明した。そして、商工会議所の圧力がかかった商調協での結論も、ダイエーの熊本出店を認めないというものだった。このダイエー問題は、熊本市の消費者団体が、出店賛成のための署名活動を起こすまでにいたり、署名数は熊本市人口の二六%を占める一三万人に上った。p.156

 はあ、そんなすったもんだがあったんだ。80年代あたりは、確かに繁盛していたものなあ。今は、さびれまくっているけど、熊本近辺のショッピングモールの走りだったということか。

 アクセス道路の整備だけでなく、道路周辺の土地の整備がすすんだ。これらの土地は、大規模な住宅団地、あるいは工業用地として整備された。日本の経済が成長することを前提にして、これらの土地整備に莫大な予算が投じられることになったが、バブル崩壊後の日本企業にはそれらを購入するほどの余力はもはや残されていなかった。こうして地方都市の郊外に造成された土地の多くが塩漬け状態になった。地方の自治体は、苦肉の策として、塩漬けされた工業用地・住宅用地を商業用地に変更することをせまられた。
 このような経緯により、地方都市の郊外――国道のバイパス沿い――に、商業用途の都市が大量に発生した。以前の商業の論理から考えれば、人が自然と集まらない土地に対して、商業用途を設定することはありえなかった。だが、バブル崩壊以降の野放図な国土開発は、塩漬け状態の土地を大量に生みだし、郊外の商業化を加速させた。その後、こうした塩漬けの土地を利用して、ショッピングモールが建設された。国道バイパス沿いにできたショッピングモールは、当然ながら、自動車での消費活動を前提としていた。p.176-7

 土建とショッピングモールの関係。

 一九八〇年代の欧米社会は、企業・家族・地域といった組織依存的な経済システムから、大きな転換をはかった。たとえば、社会保障システムにしても、「男性稼ぎ主」世帯中心から個人中心への転換が、模索された。それは、社会学者のウルリッヒ・ベックアンソニー・ギデンズらの議論を援用すれば、「官僚制から個人化」への対処ということになるが、日本社会はそうした歴史的な変化を無視して政策をすすめた。その典型が、家族と企業に依存した「日本型福祉社会論」であった。p.197-8

 未だに反動的に家族依存に走るしな…

 ?の「地域に対する規制」を取り入れたい理由は大きく分けて二つである。
 一つめは、第1章で論じた内容と重なるが、人々の生きる術を増やすということがある。
 わたしが大学生と接していて思うのは、今の若者たちは新卒採用という選択にしか目がいかず、ほかにどのような選択があるのかわからない状態に陥っているということだ。今の若者たちも、自営業などの道があることは知っているだろうが、どこか遠い世界のことと感じているように思われる。だからこそ「地域に対する規制」を設けることで、地域に貢献できる事業者を増やすことには大きな意味があると考える。
 二つめに、地域社会の自律性を規制をつうじて取り戻したいという思いがある。
 一九八〇年代以降の地域に対する規制の緩和と給付の増加は、地域の自律性を奪い取った。地域活性化という名の予算は、特定の業界や地域への金銭の垂れ流しに他ならなかった。おそらく、規制というだけで、脊髄反射的に拒否反応を示す者がいるが、これまでの規制が既得権益者の延命につながったからといって、それを拒否するのはいささか視野が狭い。社会学者の盛山和夫が言うように、一部の経済学者が主張するような、規制緩和が経済成長をもたらすという議論は、マクロレベルで実証された例しがない。
 だからこそ、わたしたちがすべきは、規制を悪者扱いするのではなく、既得権者の延命につながらない規制が何であるか、地域社会の自律につながる規制が何であるかを、考察することであろう。p.204-5