石碑

広木弘法大師堂の手水鉢

後ろの改築祈念碑が紹介済み。この手水鉢、昭和18年と戦時中の奉納なのが興味深い。まだ、余裕があったと言うことなのか、健軍三菱工場の設置にともなって移転したそうだから、それに関連してということなのか。

雨宮神社「改築記念碑」

割と読みやすそうな石碑だから、とっくに上げてたと思ったら、まだだった。 普通に何度も行ってる神社なんだけど、意外と抜けがある。 台座正面 西ム田雨宮神社の由来に就いて 御社は天文元年七月浮島熊野坐 神社の御分霊として、伊弉諾尊・伊 弉冉尊の二神…

雨宮神社の石造物

こちら方面には久しぶりに。日記を見るに、5年ぶり? 地震後は、訪れてないのは確かだが。 最初に行ったときは、かなりこんもりとした鎮守の森があったのだが、どんどん木が減っていっている。落ち葉の処理とかが大変だったんだろうけど。ちょっと寂しい。 …

江戸時代の石灯籠

健軍神社の参道にある石灯籠、年紀を見ると、江戸時代に遡るものが四本存在。それだけ、歴史のある神社と言うことだな。苗字があるところを見るに、武士身分の人物が寄進したようだ。 元治元年の石灯籠。 1964年に奉納された灯籠。写真右側のもの。参道の左…

倒壊した中島一葉句碑

参道から少し入ったところに建てられている石碑。熊本地震で倒壊した後、再建されていないようだ。割れているのかと思ったが、石碑本体の石はそのまま倒れているようだ。足下に支え的に置かれていた三角の石が地面に立っている。 2012年には、こういう姿だっ…

様変わりした熊本隊出陣の碑所在地

もともとは、ちょっとした緑地みたいになっていたのだが、いつの間にか木が取り払われて、面積も狭くなっているようだ。参道の並木も減少傾向だし。 植木が、後ろに建物を建てる邪魔になったのかな。 2010年の姿。 現在(2019/12/9)

二本木神社石灯籠上の狛犬

今まで気がついていなかったが、参道両脇の石灯籠の上に、狛犬というか、唐獅子というか、そういうのが乗ってる。写真では見えにくいが、阿像は灯籠の上に立ち上がり、吽像は逆立ち。 久しぶりの狛犬事例で、ちょっといろいろと忘れているが、独特の事例。灯…

二本木神社の猿田彦大神碑現状

熊本地震で台座から転がり落ちたあげく、真っ二つになっていたらしい。現状では、台座に戻されて、接着されているが、傾きが大きいためつっかえ棒で支えられている状況。危なっかしい… 背面 安政六年未年 十一月吉日 ○府○二本木町 願主 (以下、略)

「西郷隆盛先生本営之趾」碑

社殿右側に設置されていたが、地震で台座が倒壊。その後、参道左側に、石碑本体だけが移されている。台座の銘文は、どうなったのだろうか。 倒壊した台座部分は、石材が寄せ集められている状況。 2012年10月の姿、2016年5月の姿。で、現状が上の通り。 ↓

二本木神社「改築記念」碑

一番新しい石碑。前行ったときは、見かけなかったような気がするが… 2012年10月に行ったときには、社殿がつっかえ棒で支えられていたのが、熊本地震直後にはすっかり新しくなって、社殿そのものに地震の影響が外観上は見られなかったのは、その間に改築が行…

城山天満宮の水盤

御船城跡の石碑類は、過去に取り上げているか、でなければ碑文の判読が難しいものばかり。で、ふと水盤の碑文を見ると、江戸時代に遡るものだったのでメモ。城山天満宮が江戸時代に遡るのか、よその水盤がここに運ばれたのかはよく分からない。 嘉永5(1852…

「『薩摩塔』渡来の背景は:北部九州にも類例 日中交流語る」『朝日新聞』16/11/22

上部に壺のような形の部分が乗り、そこに如来らしきレリーフ状の仏が刻まれた、独特の形をした石塔、「薩摩塔」の話。西九州にだけ存在する石塔が、南宋次代の中国産で、日中を往復する商人たちの信仰の遺物なのではないかという話。 福岡県の首羅山遺跡で、…

「甲佐の軍神 アニメで脚光:西住小次郎戦車長:顕彰像にファン“巡礼”想定外に町も驚き」『熊日新聞』16/9/22

見た瞬間、ガルパンかと分かってしまうなあ。この記事は一昨年のものだが、現在はどうなっているのだろうか。「観光資源としてふさわしいかどうかは今後検討したい」と、甲佐町は慎重姿勢か。 石碑マニアとしては、存在を知ったからには、行かずばなるまいが…

「音を奏で町の風景になった橋」碑

五庵橋のたもとに設置されている、橋のテーマを紹介する石碑。街づくりのテーマにサウンドスケープを据えている。それにそって、橋も音楽とかかわりがあるデザインが取り入れられている、と。 文章が多いので、一部だけ、メモ。 音を奏で町の風景になった橋 …

「三界万霊等」碑

上記の機械庫落成記念碑の裏側にある石碑。「三界万霊」とは、施餓鬼供養とか、無縁の霊も祀るとか、そういう意味を持つものらしい。無縫塔や五輪塔らしきものの残欠も並んでいるので、このあたりにかつてはお寺があったのかな。 現地では、全く読めなかった…

「機械庫落成記念」碑

久しぶりに、新規の石碑。そろそろ、新規開拓には、ちょっと遠出しなくてはならなくなって、きつい。 御船町の旧中心街のメインストリートから、西に一本入った小道に建つ石碑。たしろ食堂の裏手。観音堂の横にある。昭和6年に、消防団のポンプ庫か何かを建…

万石菅原神社「御神殿改築記念碑」

立田山の西麓、清水スポーツセンターの敷地の北にある神社。以前、「清水万石2丁目天満宮」としていたが、張り紙に「万石菅原神社」とあるので、そちらを優先することに。 大正末に神社を整備した時のものの模様。区長以下の人名、石碑裏面の施工者などにつ…

「立田将監重徳之霊碑」

北バイパスから雑草の森に登る道の途中にある石碑。ご覧のように、地震で倒壊しているので、詳細不明。

夏目漱石句碑2

3つ見かけた石碑の二つ目。これは、正面入り口横に建っている。もうひとつは、本殿前のどのあたりだったか、思い出せないので、今後の課題に。しかし、くずし字は、やはり読解率6割くらいだなあ。 石碑正面 夏目漱石の句 湧くからに 流るるからに 春の水 石…

夏目漱石句碑1

先日、水前寺情趣園に行ったら、見慣れない石碑がにょきにょきと出現していた。裏のでかい文字の年紀を見るに、倒壊した大鳥居の柱材を、三枚におろして、句碑に仕立てたようだ。→漱石の句碑:建立 地震で倒壊、大鳥居使い 熊本・水前寺成趣園 /熊本 - 毎日…

富合町前川原土地区画整理事業「竣工記念碑」

加勢川の旧河道沿いの公園に建つ石碑。土地区画整理事業の石碑。河道沿いを区画整理したのかな。 公園も、割と記念碑狙い目。 役員に、河北さん、多いな。 石碑裏面 富合町前川原土地区画整理事業 施工面積 三・一四ヘクタール 総事業費 三億四百六十万円 役…

泉ヶ丘校区公民館寄付「顕彰碑」

健軍の南、泉ヶ丘公園の敷地内に建つ公民館の目の前の石碑。個人の寄付によって建設されているのか。 石碑正面 顕彰碑 (写真) 碑文 泉ヶ丘校区公民館は昭和三十五年旧三菱重工業寮の 払下げをうけ建築されたもので以来三十幾有余年の歳月 により老朽化は極…

「社殿改築記念碑」

川尻町中、旧三号線沿いの小社に建つ石碑。熊本地震の影響で、今にも倒れそうになっている。石碑を見たら、裏側に回るのだが、ここはその勇気がなかった。 大正天皇の即位式典に合わせて、社殿改修が行われ、記念碑も建てられたようだ。石は石灰岩? 石碑正…

「川尻神宮境内整備工事記念碑」

川尻神宮の鳥居右手に建つ石碑。1982年ごろに行われた境内整備工事の記念碑。裏面並びに両側面には、寄付者名が大量に並んでいるが、例によって、省略。撮ってきた写真が読めないというのもあるが… 石碑正面 川尻神宮境内 整備工事記念碑 一、西側護岸工事 …

「日露戦役紀念碑」

平和祈念碑、征清従軍紀念之碑と並ぶ、石碑。こちらは日露戦争の祈念碑。苔むしていて、さらに情報が不明。 カンペたる『近現代の戦争に関する記念碑』でも、揮毫者「陸軍中将 大久保春野」とは書いてあっても、年紀は不明の模様。

「征清従軍紀念之碑」

平和祈念碑の隣に建つ石碑。日清戦争の記念碑。木に覆われて暗いうえに、地衣類が生えていて、揮毫者や従軍者名簿は読み取れず。『近現代の戦争に関する記念碑』によれば、「陸軍中将 黒木為禎」とのことだが。 石碑裏面 発起人 田邊正人 川端直太郎 内藤新…

「平和祈念碑」

川尻神宮境内に建設された、戦没者慰霊碑。2000年というのは、熊本市内でも、一番新しい。日清、日露従軍碑と、3つが敷地奥に並んでいる。 ぴかぴかなのは、自分が写りこみそうで、ちょっと困る。 発起人、戦没者名簿、寄付者名簿は例によって省略。 石碑正…

「海軍忠魂慰霊碑」「国民殉難者慰霊碑」「陸軍忠魂慰霊碑」

近見公民館のそばにある忠魂碑群。熊本地震で倒れた後、下に木をかませて、とりあえず置いてある感じか。 『近現代の戦争に関する記念碑』報告書のリストには、入っていない石碑のようだ。陸軍・海軍・一般国民と分けて、同一敷地に建てられているスタイルも…

「水場農道苗床工事記念碑」

上近見公民館敷地内に建つ石碑。各種の農業用施設整備工事が行なわれた記念に設置されたもののようだ。植栽で、台座の文字が見えなくて、難渋した。 石碑正面 上近見農区長水田幾平 農道 水場 工事記念碑 苗床 農家一同 台座正面 農家一同 昭和廿二年三月起…

「母校創設85周年記念」時計塔

熊大病院の正面に立つ時計塔。もしかしてと思ったら、やっぱり、記念碑の一種だったわけね。 プレート 母校創設85周年記念 昭和56年9月12日 熊杏会