猿田彦

上代阿蘇神社の猿田彦

しめ縄の存在感。 明治19年設置の紀年銘あり。旧神官とか、関わっている人が興味深い。「権中講義」というのは明治初年に設置された「教導職」というのの階級だそうだ。 石碑左面 明治十九丙戌年九月吉日奉納 肥後国飽田郡上代村氏子中 川内村大森太八 世話 …

大塘八幡宮の猿田彦

驚異のダブル猿田彦。防御は完璧だ。塞ノ神的な役割があると言うしね。 特に年紀などは見当たらず。

高橋西神社の猿田彦

鳥居脇のけっこう目立つ位置にある。裏に碑文が書かれているのは珍しいが、生け垣になっていて近づけず。大正10年代の年紀が彫られている。「当神社大修築紀念」と、記念碑を兼ねたもののようだ。

石神八幡宮の猿田彦

境内に建つ猿田彦大神碑。猿田彦としては、ちょっと変わったかたちをしているかな。

長嶺馬場公民館前の猿田彦(中通りの猿田彦)

以前にも取り上げているが、熊本地震で倒壊して、かなり様相が変化しているので、掲載。再建ということで、平滑に磨いた石に刻まれる形に。石材は再利用したのか、新調か不明。台座も、かなりコンクリで固められている様子。 Before ↓ After 右再建碑。 平成…

二本木神社の猿田彦大神碑現状

熊本地震で台座から転がり落ちたあげく、真っ二つになっていたらしい。現状では、台座に戻されて、接着されているが、傾きが大きいためつっかえ棒で支えられている状況。危なっかしい… 背面 安政六年未年 十一月吉日 ○府○二本木町 願主 (以下、略)

田崎神社の猿田彦(再掲)

久しぶりに田崎神社を通りがかったが、石碑の碑文に入れられている朱が、鮮やかに。比較的最近、足されたようだ。

保田窪菅原神社の猿田彦

以前は碑文が読めなかったのだが、今回よく見ると、石碑の左側面に年紀を解読に成功。「文政十」までは読めたから、1827年から30年にかけて、刻まれた石碑のようだ。熊本市内では比較的早い事例ということか。台座や玉垣は、昭和8年に、神社300年記念と合わ…

嘉島町鯰の猿田彦

鯰公民館の南の、三叉路に建つ猿田彦。でかい。 特に年紀などを示す碑文はなし。 map:x130.742169y32.747354:map:h300

琴平一丁目2-1の猿田彦

住宅地の旧道っぽい道を走っていたら、民家の前庭にさりげなく建っていた。以前も通ったことがある道だが、ぜんぜん気がつかなかったな。右折する気で、見ていなかったら、今回も見落としていたかも。 たいがい猿田彦大神碑は自然石なのだが、小型の立方体な…

須屋八幡宮の猿田彦

今回、遭遇したのは、この一例のみ。意外と少なかった。ルート取りの問題もあるのだろうけど。年代などについての手がかりは無し。 map:x130.732317y32.858350:map:h300

辺田見若宮神社参道脇の猿田彦

御船町の鎮守である若宮神社の参道入り口横に建っている猿田彦碑。なかなか立派なもの。幕末の嘉永五年に建設。 map:x130.805983y32.707230:map:h300 石碑裏面 嘉永五壬子三月 当邑中

マイン前観音堂の猿田彦

役場や恐竜博物館、スーパーなどが並ぶ目抜き通りの交差点に建っている地蔵堂の中に、猿田彦の石碑が存在。台座に奉納者の名前があるようだが、読みとれず。明治18年の建立。 map:x130.799871y32.712202:map:h300 石碑右裏 明治十八年 酉正月吉日

荒木宮の猿田彦

熊本港に向う県道51号線沿いにある、荒木宮に建っている猿田彦。年紀などは不明。 map:x130.631625y32.769825:map:h300

甲南綿津見神社の猿田彦

コンクリートブロック製の小さな祠に祭られている猿田彦碑。小型で、思わず見逃すところだった。 map:x130.621835y32.765805:map:h300

山下阿蘇神社の猿田彦

中島小学校から南に下ったところにある神社に祭られている猿田彦。この地域を「山下」というらしい。 台座に年紀、石工名、寄附者名などが刻まれている。前二者以外は省略。 map:x130.628513y32.763952:map:h300 台座裏面 昭和十三年五月吉日 石工 紫垣太熊 …

新土河原菅原神社の猿田彦

県道227号線から少し入ったところ、水路際にある、小さな神社の境内に建つ。昭和20年と、猿田彦碑の設置時期としては、最も遅い部類に入る事例かな。裏面に年紀と奉納者名が彫られているが、注連縄で隠れて見えず。 map:x130.679098y32.774580:map:h300

警固神社の猿田彦

境内の南東隅の木の下にあった猿田彦の祠。こういう祠状のものははじめて見た。正面に猿田彦と刻んであるだけで、他に情報は無し。神社の人に聞いてみればいいんだろうけど、めんどくさいしな。今回は時間もなかったし。 map:x130.400218y33.587550:map:h300

万日神社の猿田彦

花岡山の南端に立地する万日神社。その境内に上る石段の曲がり角に建っている。とりあえず、坂がきつい。あと、傾斜面の石碑は写真がとりにくいです… map:x130.685081y32.786093:map:h300 石碑裏面 明治四十年十月吉日

田崎神社の猿田彦

坪井川と線路にはさまれた袋小路状の土地にある神社。坪井川の自然堤防上に立地した集落が、鉄道によって後ろを遮断された感じなのかね。狭い道がすばらしい。 拝殿に並ぶように建っている。碑本体は玉垣で囲まれて、今も整備されている立派なもの。明治11年…

雨宮神社の猿田彦

map:x130.76053y32.768519:map:h300 下江津湖の広木公園から、東に行ったところにある旧西無田集落の神社。境内の南端、鳥居の脇に、境内の外に向けて立っている石碑。特に年紀などの情報は無し。 石の色が赤っぽいのが特徴。馬門石ではないようだが、加勢川…

打越菅原神社の猿田彦

二つの谷に挟まれて、岬状になった台地の突端。独立した丘陵に建っている神社。その鳥居の前に建っている猿田彦碑。崖際でなかなか怖かった。わたしゃ、高所恐怖症やねん。 裏面には年紀と世話人が彫られている。こういうのをがっつり彫っているのって、あん…

八王子町東組の猿田彦

『熊本市文化財調査報告書』に八王子町には猿田彦碑が二つあること、西組と東組で分かれているという記述があったので、探してみた。それっぽいところは、観音堂の周りということで、そっち方面に入ったら、一発で発見。 民家の敷地を一部へこませて、建てら…

池田八幡宮の猿田彦

境内の左手に建っている。1845年と江戸時代にさかのぼるもの。裏に願主とか、年紀とかが、割とがっつり彫られている。願主と世話人の名前が江戸時代だな。 map:x130.703536y32.820997:map:h300 石碑裏面 弘化二乙巳 運命長久 願主 桜屋栄助 家内安全 世話人…

八丁馬場入口の猿田彦

電車通りから八丁馬場に入る鳥居の裏に建っている。猿田彦碑、観世音菩薩、地蔵菩薩と三つ並んでいる。年紀は入っていないが、奉納者名から見て、江戸時代には遡るのだろうな。あと、地衣類が繁茂していて、碑文が見にくい。あと、「猿田彦大明神」というの…

本妙寺門前若宮八幡宮の猿田彦

本妙寺参道の仁王門下にある若宮八幡宮境内にある。境内南側の鳥居脇に法華塔と並んで立っている。皇紀二千六百年と彫ってあるから、1940年とかなり新しいもの。この時期でも、こういう信仰は盛んに行われていたのだな。 map:x130.693244y32.814746:map:h300…

長嶺東5丁目22-13の猿田彦

上掲の石碑から100メートルほど南に行ったところにある。裏をのぞきこむと、大正五年の年紀と何か書いてあるけど、写真では読み取れず。要再調査。 これ、以前から知っていたものなんだけど、どうも一度も載せていないようだ。 map:x130.778061y32.824887:ma…

長嶺馬場公民館前の猿田彦(再掲)

以前撮った写真には指が写っていたのと、今回台座にのぼって裏の年紀を確認したので再掲。明治11年に建立したもののようだ。1メートルほどの台座にのぼって石碑の裏を見ている人間なんて、怪しさ爆発だよなあ… map:x130.777457y32.826086:map:h300 惟時明治…

国府四丁目の猿田彦

こちらも迷走中に遭遇。だいぶ風化していて碑文が読み取りにくいが、明治18年のものらしい。 map:x130.728767y32.785504:map:h300

八王子町西・大嶋組の猿田彦

ふと目に着いた脇道に入ったら遭遇した。たまにはいつも通らない道に入りこむのもいいものだ。しめ縄がかかっているので、碑文が全部読みとれたわけではないが、大正6年に建てられたもののようだ。 map:x130.715254y32.785484:map:h300 「西・大嶋両組石垣建…