猿田彦

辛川の猿田彦

こちらは県道145号を外れて、馬場楠井手にかかる橋のたもとにある猿田彦の石碑。猿田彦の文字が横に並んでいるのが特徴。御幣で見難いが。裏の年紀は「明治三」とまでは読めるが、3年か30年代かはちょっと分からない。部外者が勝手にしめ縄を外してしまうわ…

曲手神社の猿田彦

白川南岸に戻って、菊陽町曲手の神社境内に猿田彦大神碑があった。境内の西端に、三基ならんで、石神が存在したが、その中央。裏面に年紀が彫られているが、地衣類が広がっていて、判読できず。大正4年と書いてあるようにも見えるが… 他のものはどういう神様…

菊陽町川久保の猿田彦

曲手から白川を渡ってすぐにある猿田彦。すぐ民家の敷地になっているので、裏をチェックできなかった。 map:x130.837871y32.856054:map:h300

黒髪菅原神社の猿田彦

これも神社境内。このあたりを七曲がりというそうだが、名に恥じない曲がりくねった道。こういう道は楽しい。 裏面の年紀の設置月は五月あたりの可能性もあり。 map:x130.718293y32.817138:map:h300 裏面 明治二十四年 一月中○ 建之

室園年禰神社の猿田彦

「猿田彦大神」の文字の横に、書を書いた人の名前が書いてあるようだが、達筆過ぎて読めない。昭和12年設置と比較的新しいもの。 map:x130.724709y32.826591:map:h300 裏面 昭和十二年二月吉日 奉納 高野○○高本道

清水万石2丁目天満宮の猿田彦

これも上の狛犬と同じ神社に存在。清水方面では猿田彦大神碑はあまり見かけないし、見かけても神社の境内だな。猿田彦大御神と彫ってあるのが特徴。 map:x130.729033y32.830233:map:h300

琴平神社の猿田彦(再掲)

改めて写真を撮ってきたので再掲。石碑そのものには、天保二年、台座の石柱には明治22年の年紀が入っている。横の解説板によれば、1940年代ごろに琴平神社の境内に移転させられたそうで、その前にも段階的に整備を受けてきたものだと推測できる。 map:x130.7…

惣領神社の猿田彦

今回、神社境内に存在した唯一の例。ただ、ここはつい最近、幹線道路が拡幅されたので、それで移設された可能性はあるな。元は境内地の外にあった可能性も否定できない。 map:x130.799816y32.783567:map:h300 裏面 文政元年八月廿日

宮園公民館北の猿田彦

ここも辻に立っている。この調子で昔の集落の交差点を狙い撃ちすれば、もっと遭遇したかもな。今回は神社と火の見櫓を期待して公民館を狙ったのだが。しかし、この手の道祖神的な猿田彦の問題は、裏側が必然的に人の家の敷地に入らないと見られないというこ…

木山神宮下の猿田彦

こちらも交差点にある猿田彦。木山神宮から少し南に下ったところにある。裏に文字が書かれているようで、写真も撮ったんだが、読み取れず。無念。多分、益城町の文化財報告をあされば、情報があるに違いない(無責任)。 map:x130.818452y32.787045:map:h300

宮園552の猿田彦

明確な施設がないから説明しにくいな。幹線道路から、道安寺を経て、益城町役場にいたる登り道の入り口にある。ここも道祖神的な感じだな。わかれ道の所にあって。 map:x130.815609y32.789753:map:h300

福富758番地の猿田彦

近くの妙見神社に行くはずが、道を間違って、さまよっているうちに遭遇。こういう出会いもあるものだ。こちらは先の集落の対岸、妙見川の左岸の谷の中腹にある集落といった風情。そう言えば、益城町の猿田彦大神碑は、大概交差点にある道祖神的な感じで、そ…

古閑地蔵堂前の猿田彦

古閑公民館の南、辻になっている所にある猿田彦。周りにはお地蔵さんやら何やらあって、集落の中心といった雰囲気が濃厚。川からは、少し高くなっているのが、いかにも集落の立地という感じ。 map:x130.794353y32.785597:map:h300

春日神社の猿田彦

本殿左手に複数似たような石の信仰対象の中にある。でかくて立派な石碑。1851年設置。幕末期のもの。 map:x130.687727y32.792803:map:h300 村内 嘉永四辛亥年 仲春中九日 安全

笛田神社の猿田彦

今日は、あまり猿田彦大神碑を見かけなかったな。結局、遭遇はこの一例のみ。笛田神社の道沿いにあり。だいぶ風化が進んでいて、読み取りにくい。年紀などは見当たらず。 map:x130.714055y32.760081:map:h300

宮寺熊野座神社の猿田彦

二本木の西端、水路の際にある神社。これも鳥居の向かって左手に建っている。ここにはふたつ碑があって、境内の表側にあるのは大正6年のもの。もう一つは、境内の奥にお堂を建てて安置してある。こちらは天保8年のもので、上半分が折れて失われている。代替…

二本木神社の猿田彦

二本木神社の境内、鳥居の左手にある猿田彦大神碑。非常に立派な造りのもの。裏面に彫られている銘によると、安政6年に、二本木町の住民が願主となって建立されたそうだ。願主の人名が読み取れなかったので、文章は省略。あと、境内の摂社荒神社に中に庚申塔…

迎八反田の猿田彦

こちらも前から知っていたのだが、今まで写真に撮っていなかったもの。天保年間になてられたもので、継続的に周囲は整備されてきたようだ。下の線香立ては大正のものらしいし、台座は昭和になってから整備されている。 しかしまあ、住所を調べようとすると、…

長嶺馬場公民館前の猿田彦

託麻市民センターからやや奥に入ったところ。広福寺から一つ上がったところにある。何度か通ったことがあるのに、いままで写真に撮っていなかった模様。年紀そのほかの情報はないようだ。あと、連続で、写真に指が入ってしまっているのが大反省点。 map:x130…

第5回有明地方拓本展資料 掲載の庚申塔・猿田彦碑

blogs.yahoo.co.jp メモ。前近代のは拓本取らないとどうしようもないのかな。 山鹿の猿田彦大神が紹介されているが、熊本市東部のものと比べると、ずいぶん年代が古いな。あと、願主とか、年代が刻まれているあたりもずいぶん違う。 熊本市文化財調査報告書?…

山崎菅原神社の猿田彦

市民ホールの裏手にひっそりとある神社。境内の玉垣前に建っている猿田彦。このタイプはあまり見かけいないような。「明治廿三年十一月」「熊本市紺屋今町 本田華○○」と刻んである。奉納者の名前の下の方は判読できず。 map:x130.703506y32.801991:map:h300

熊本城稲荷神社の猿田彦

通りがかりにちらっと見たら、目立つ石碑があったので、突撃。敷地の入り口わきの目立つところに建っていた。年紀は見当たらず。裏に刻んであるのかもしれないが、こけだらけで分からなかった。「平之一義謹書」とある。 map:x130.708036y32.805023:map:h300

芭蕉公民館の猿田彦

龍田小と龍田中の間にある公民館。坂道の下、豊後街道からの集落の入り口に当たる。隣には石仏が建っていた。 map:x130.762365y32.837847:map:h300

片彦瀬菅原神社の猿田彦

白川の蛇行によって、半島状になっている場所にある集落、その氏神の神社にある。 map:x130.771594y32.843611:map:h300

弓削町の猿田彦

鹿帰瀬町の猿田彦大神碑に近接しているが、属する住所は違うようだ。これも曲がり角にある。サンガーデン弓削というアパートの敷地の端に建っている。裏の銘によると文久2年(1862)に八代郡の人が建てたらしいというところまでは解読できた。幕末ですな。 …

鹿帰瀬町の猿田彦

鹿帰瀬町の供合線沿いにある猿田彦大神碑。路地との交差点に存在。今日はルート選択がさえていたな。 map:x130.797354y32.847548:map:h300

年穂神社の猿田彦

運動公園と馬場楠井出の間にある神社。地図をみて、ここに神社があることを知った。境内、鳥居の右側に建っている。そういえば、神社の境内に建っている場合、鳥居の右側にあることが多いが、なんか作法でもあったのだろうか。 裏側の銘文を見ると、明治18年…

乙姫神社の猿田彦

上南部の乙姫神社鳥居の脇の斜面に建っている猿田彦大神碑。背後には、上半分が欠損した残欠が残されている。こちらも一応現役のようだ。 map:x130.77021y32.835496:map:h300

下南部2丁目の猿田彦

供合線から集落に降りる入口、交差点のところにある。道祖神的な立地の猿田彦大神碑。いきなり幸先良し。 map:x130.759626y32.824545:map:h300

六嘉宮横の猿田彦

六嘉宮の西隣のお宅の入口に建てられていたもの。裏の年紀から、昭和6年に建てられたことがわかる。遭遇するたびに記録していっているが、熊本平野全域に存在するみたいだな。 map:x130.76852y32.750979:map:h300