迎八反田の猿田彦

 こちらも前から知っていたのだが、今まで写真に撮っていなかったもの。天保年間になてられたもので、継続的に周囲は整備されてきたようだ。下の線香立ては大正のものらしいし、台座は昭和になってから整備されている。
 しかしまあ、住所を調べようとすると、長嶺東西南北になっていて、このあたりの地名のセンスのなさにはあきれるな。





 碑文に関しては、熊本市文化財調査報告書? 掲載の庚申塔・猿田彦碑を参考に。年紀や書いた人が読み取れなかった「天保十一年」や「阿蘇○惟○」くらいしか読み取れなかった。

  天保十一庚午年十二月吉日 迎八反田村中
猿田彦大神
  阿蘇公惟馨謹書