石碑

「京町本丁漱石記念緑道」碑

京町の京陵中前、「京町本丁」バス停横の小さな花壇のような場所の解説碑。この道が、明治時代に上熊本駅と坪井方面を結ぶ幹線だったわけね。で、夏目漱石も、第五高等学校に赴任した際に通っている、と。 石碑正面 この緑道は、夏目漱石が明治29年4月13日、…

「熊本市造園建設業協会三十周年記念植樹」碑

三の丸駐車場の一番西端、細川刑部邸手前に植えられた桜の記念植樹由来碑。この駐車場、桜の記念植樹標柱が多い。 石碑裏面 熊本市造園建設業協会会員五十九社 平成二十一年十一月二十一日

弁財天現出地石祠

御領集落北側、御領薬師堂から東バイパス方向に向かうと墓地がある。その中に建っている祠。最初はここに祀られていた弁財天が、近代に入ってから小山御領神社に合祀されたらしい。 祠の周囲に経緯が刻まれているけど、けっこう読めない字が。分からなかった…

「七畝金神」銘碑

七畝金神の鳥居脇に建っているもの。上のと同じような石だけど、宗教法人名が違うなあ。 石碑裏面 御領町二二五番ノ二 一四八平方米 宗教法人小山御領神社

七畝金神「奉納 境内敷地」碑

七畝金神の敷地を寄進して、宗教法人を設立した記念碑。2011年に建てられた石碑。その時期に、敷地の再整備を行ったのかな。ここいら、ちょくちょく来ていたはずだけど、今までまったく気づいていなかったんだよね。 石碑右面 昭和六十一年八月に田上一隆は…

長嶺馬場公民館前の猿田彦(中通りの猿田彦)

以前にも取り上げているが、熊本地震で倒壊して、かなり様相が変化しているので、掲載。再建ということで、平滑に磨いた石に刻まれる形に。石材は再利用したのか、新調か不明。台座も、かなりコンクリで固められている様子。 Before ↓ After 右再建碑。 平成…

「皇紀二千六百年記念」碑

以前は、なんて描いてあるか読み取れなかったもの。今回、じっと見つめていたら、書いてある文字が読めた。鐙田公園南東前の交差点、ガードレールの外側、水路敷に建っている石碑。 上の方に穴が空いているし、元は水路と道路を仕切る柵か何かだったのかな。…

「妙見池改修記念碑」

鐙田公園北東隅、藻器堀川横の妙見社脇に建つ石碑。1992年に、湧水が減って荒れていた妙見池を浚渫した際の記念碑。しかし、そこからさらに湧水量が減って、今は水が完全に涸れている。 石碑裏面。 改修委員 馬場組財産管理会 会長 坂本 今夫 副会長 村岡 鎮…

「八反田地蔵尊堂」表示碑と板碑

かつての八反田集落の西端あたりの辻に建つ地蔵堂と板碑。こういう旧集落の交差点は狙い目。お堂の横の銘は、割と最近整備されたもの。お堂の修理か再建と一緒に建てられたのかな。 道の反対側にある板碑は、表面の如来像以外には情報なし。文献を調べれば、…

「民生委員制度創設百周年記念」碑

行幸橋のたもと、清正公像の裏の民政委員関係の石碑が増えていた。昨年五月に設置されたもの。前が70周年だから、元号代わりごとに建てている感じになっているな。 銅像の台座も作り替えて、詰めたのか。 つーか、相変わらず、字が読めない。野口勲?氏の横…

広木弘法大師堂の手水鉢

後ろの改築祈念碑が紹介済み。この手水鉢、昭和18年と戦時中の奉納なのが興味深い。まだ、余裕があったと言うことなのか、健軍三菱工場の設置にともなって移転したそうだから、それに関連してということなのか。

雨宮神社「改築記念碑」

割と読みやすそうな石碑だから、とっくに上げてたと思ったら、まだだった。 普通に何度も行ってる神社なんだけど、意外と抜けがある。 台座正面 西ム田雨宮神社の由来に就いて 御社は天文元年七月浮島熊野坐 神社の御分霊として、伊弉諾尊・伊 弉冉尊の二神…

雨宮神社の石造物

こちら方面には久しぶりに。日記を見るに、5年ぶり? 地震後は、訪れてないのは確かだが。 最初に行ったときは、かなりこんもりとした鎮守の森があったのだが、どんどん木が減っていっている。落ち葉の処理とかが大変だったんだろうけど。ちょっと寂しい。 …

江戸時代の石灯籠

健軍神社の参道にある石灯籠、年紀を見ると、江戸時代に遡るものが四本存在。それだけ、歴史のある神社と言うことだな。苗字があるところを見るに、武士身分の人物が寄進したようだ。 元治元年の石灯籠。 1964年に奉納された灯籠。写真右側のもの。参道の左…

倒壊した中島一葉句碑

参道から少し入ったところに建てられている石碑。熊本地震で倒壊した後、再建されていないようだ。割れているのかと思ったが、石碑本体の石はそのまま倒れているようだ。足下に支え的に置かれていた三角の石が地面に立っている。 2012年には、こういう姿だっ…

様変わりした熊本隊出陣の碑所在地

もともとは、ちょっとした緑地みたいになっていたのだが、いつの間にか木が取り払われて、面積も狭くなっているようだ。参道の並木も減少傾向だし。 植木が、後ろに建物を建てる邪魔になったのかな。 2010年の姿。 現在(2019/12/9)

二本木神社石灯籠上の狛犬

今まで気がついていなかったが、参道両脇の石灯籠の上に、狛犬というか、唐獅子というか、そういうのが乗ってる。写真では見えにくいが、阿像は灯籠の上に立ち上がり、吽像は逆立ち。 久しぶりの狛犬事例で、ちょっといろいろと忘れているが、独特の事例。灯…

二本木神社の猿田彦大神碑現状

熊本地震で台座から転がり落ちたあげく、真っ二つになっていたらしい。現状では、台座に戻されて、接着されているが、傾きが大きいためつっかえ棒で支えられている状況。危なっかしい… 背面 安政六年未年 十一月吉日 ○府○二本木町 願主 (以下、略)

「西郷隆盛先生本営之趾」碑

社殿右側に設置されていたが、地震で台座が倒壊。その後、参道左側に、石碑本体だけが移されている。台座の銘文は、どうなったのだろうか。 倒壊した台座部分は、石材が寄せ集められている状況。 2012年10月の姿、2016年5月の姿。で、現状が上の通り。 ↓

二本木神社「改築記念」碑

一番新しい石碑。前行ったときは、見かけなかったような気がするが… 2012年10月に行ったときには、社殿がつっかえ棒で支えられていたのが、熊本地震直後にはすっかり新しくなって、社殿そのものに地震の影響が外観上は見られなかったのは、その間に改築が行…

城山天満宮の水盤

御船城跡の石碑類は、過去に取り上げているか、でなければ碑文の判読が難しいものばかり。で、ふと水盤の碑文を見ると、江戸時代に遡るものだったのでメモ。城山天満宮が江戸時代に遡るのか、よその水盤がここに運ばれたのかはよく分からない。 嘉永5(1852…

「『薩摩塔』渡来の背景は:北部九州にも類例 日中交流語る」『朝日新聞』16/11/22

上部に壺のような形の部分が乗り、そこに如来らしきレリーフ状の仏が刻まれた、独特の形をした石塔、「薩摩塔」の話。西九州にだけ存在する石塔が、南宋次代の中国産で、日中を往復する商人たちの信仰の遺物なのではないかという話。 福岡県の首羅山遺跡で、…

「甲佐の軍神 アニメで脚光:西住小次郎戦車長:顕彰像にファン“巡礼”想定外に町も驚き」『熊日新聞』16/9/22

見た瞬間、ガルパンかと分かってしまうなあ。この記事は一昨年のものだが、現在はどうなっているのだろうか。「観光資源としてふさわしいかどうかは今後検討したい」と、甲佐町は慎重姿勢か。 石碑マニアとしては、存在を知ったからには、行かずばなるまいが…

「音を奏で町の風景になった橋」碑

五庵橋のたもとに設置されている、橋のテーマを紹介する石碑。街づくりのテーマにサウンドスケープを据えている。それにそって、橋も音楽とかかわりがあるデザインが取り入れられている、と。 文章が多いので、一部だけ、メモ。 音を奏で町の風景になった橋 …

「三界万霊等」碑

上記の機械庫落成記念碑の裏側にある石碑。「三界万霊」とは、施餓鬼供養とか、無縁の霊も祀るとか、そういう意味を持つものらしい。無縫塔や五輪塔らしきものの残欠も並んでいるので、このあたりにかつてはお寺があったのかな。 現地では、全く読めなかった…

「機械庫落成記念」碑

久しぶりに、新規の石碑。そろそろ、新規開拓には、ちょっと遠出しなくてはならなくなって、きつい。 御船町の旧中心街のメインストリートから、西に一本入った小道に建つ石碑。たしろ食堂の裏手。観音堂の横にある。昭和6年に、消防団のポンプ庫か何かを建…

万石菅原神社「御神殿改築記念碑」

立田山の西麓、清水スポーツセンターの敷地の北にある神社。以前、「清水万石2丁目天満宮」としていたが、張り紙に「万石菅原神社」とあるので、そちらを優先することに。 大正末に神社を整備した時のものの模様。区長以下の人名、石碑裏面の施工者などにつ…

「立田将監重徳之霊碑」

北バイパスから雑草の森に登る道の途中にある石碑。ご覧のように、地震で倒壊しているので、詳細不明。

夏目漱石句碑2

3つ見かけた石碑の二つ目。これは、正面入り口横に建っている。もうひとつは、本殿前のどのあたりだったか、思い出せないので、今後の課題に。しかし、くずし字は、やはり読解率6割くらいだなあ。 石碑正面 夏目漱石の句 湧くからに 流るるからに 春の水 石…

夏目漱石句碑1

先日、水前寺情趣園に行ったら、見慣れない石碑がにょきにょきと出現していた。裏のでかい文字の年紀を見るに、倒壊した大鳥居の柱材を、三枚におろして、句碑に仕立てたようだ。→漱石の句碑:建立 地震で倒壊、大鳥居使い 熊本・水前寺成趣園 /熊本 - 毎日…