安達謙蔵銅像

 三賢堂の敷地内に建つ安達謙蔵の銅像
 とりあえず、台座の「安達謙蔵翁」の銘文が篆刻で、安達の部分が全然読めなかった。あの文字で「安」を連想するのは無理。ネットで篆刻の安を検索して、「関」みたいな文字が「安」の字であることを知った。
 あと、下の碑文も気合い入れすぎて、微妙感が。







台座上段

安達謙蔵翁



台座下段碑文

容貌魁岸威儀挺持巍然天地の間に立ち一世を俯現する者之
漢城安達謙蔵翁の銅像とす政治生活五十餘年其間十四度
代議士に挙げられ再び内閣に列し児童も漢城を誦し走卒も
安達を知る嗟手偉なる哉翁人と為り沈毅大略あり事に臨し
では英発果敢能く難局に処して声気を動かさず少壮国権党
に入り佐佐克堂先生を輔けて 皇室中心国権拡張の主義を
宣揚し先生歿するや其後を襲いで党首となり更に立憲同志
会に入って桂加藤二氏の帷幄に参画せり後憲政会内閣に列
しては逓相となり民政党内閣に入っては内相となりて大政
を翊讃す其の政界に於ける多年の苦節其の国家に尽したる
幾多の功績炳然として衆目に在り其の夙に心を東亜の経略
に注ぎ朝鮮に於て画策施為したる事蹟是亦人の能く知る所
にして晩年国民同盟を興し統率八年挙国一致外交刷新を提
唱したる先見の明は世局の転変に遭遇し識者の三歎する所
なり且つ翁は平生意を世教に留むること頗深き者あり○時
済々黌の振作熊本中学の興建尚絅校の改革に手を仮したる
如きは顕著なる実例にして其の後年八聖殿を横浜に建て三
賢堂を熊本に造りたるは亦偶然に非ざるを知る翁今齢七十
七意気益旺に而して徳益高く望益重し頃日諸友相謀り此の
銅像を建て翁の寿康を慶賀し又以て翁の風手を千古にし後
人をして長く矜式する所あらしむ然りと雖翁の徳業豈独之
を須って不朽ならん哉
  昭和拾五年十一月        野田寛撰并書