17日に回った津久礼の窪田八幡宮、下津久礼日吉神社、今石神社と、川を渡った対岸の鹿帰瀬天満宮について、石灯籠などの石造物を中心に。津久礼って、行ったことなかったのか。
神社の姿と、石灯籠類のメモ。
窪田八幡宮
県道138号辛川鹿本線が白川の河岸段丘を降りたところにある神社。東西に長い津久礼集落の中程、崖の中腹あたりにある神社。周囲の竹林が凄くて、昼も暗い。崖の下側からアプローチ。
鳥居が、皮を剥いだ丸太を使っているのが印象深い。
石灯籠一組。「大正五年十一月三日建設 立太子紀念」との銘があるから、昭和天皇の立太子を記念して建設されたもののようだ。
下津久礼日吉神社
回った神社で一番大きかった神社。こちらも段丘崖の中腹付近にある。
由緒書の看板によると、1200年に合志郡の地頭に補任された中原師員が比叡山から日吉山王社を勧請。うち、「下七社」が当社である、と。
あとは、下津久礼日吉神社の楠と銀杏は菊陽町指定文化財になっている。
少なくとも、300年くらい現在地にあるのか。
石段下の石灯籠。柱正面の文字が草書体で読めない。「社燈」でいいのかな。左右で奉納者が違う。左側は「明治三十六年旧八月六日」「田村利太郎建之」、右側は「当村 富永弥三郎 六十一年」「還暦記念」「明治三十六年朔日建之」と刻まれている。
社殿脇の石灯籠。「奉献 六十記念 富永○吉」「昭和十一年六月一日」の年紀が。
社殿近くの石灯籠。「鈴木○○勝幸」「奉寄進 文久二年九月吉日」「為武運長久建之」と江戸時代にさかのぼる年紀が入っている。1862年だから、幕末も幕末。それだけに「武運長久」という銘の石灯籠が奉納されるのかな。
同じく社殿のある平場のもっとも手前の石灯籠。「献灯」「大正七年十一月建立」と刻まれている。