島本慈子『住宅喪失』

住宅喪失 (ちくま新書)

住宅喪失 (ちくま新書)

 「自由競争」による雇用の不安定化と同時進行で、持ち家政策が転換され、むき出しの市場原理に支配されつつあること。その結果、特に不安定な雇用の低所得層の居住の安定が脅かされている状況を描いている。総合規制改革会議の連中の言動の胸糞悪さ。この本は2005年の出版だが、その後も、状況は悪化しこそすれ、改善する気配はない。違法シェアハウスの横行を見れば、むしろ市場に任せると劣悪な物件の供給しか行なわれないというのは明確になっているのではないだろうか。初期投資が安いほうが、手っ取り早く黒字化できるわけだし。『スラムの惑星』でも貧困層向けの物件の方が、単位面積当たりの収益率が高いと指摘されているとおり。むしろ、市場原理主義者の、「市場に任せればうまくいく」という確信が不思議だよな。
 今の日本の制度って、旧来の日本の制度の悪いところと、アメリカの制度の悪いところを悪魔合体させた、最悪の制度と化してないか。1980年代に『新・日本住宅物語』で、日本の居住権保障制度の貧困さを指摘していたが、30年たって、全然改善していなかったと。
 少なくとも、ある程度まともな場所にすむことができるというのは、「健康的で文化的な最低限の生活」の一部であると思うのだが。企業経営のグローバルスタンダードは追求されるけど、貧困政策や一般人の権利の擁護などでは、グローバルスタンダードとか一顧だにされないんだよな。


 第一章は住宅ローンの破綻の現場。失業や収入減少などで、住宅ローンが支払えなくなったとたんに路上に追い出される。無理してでも住宅ローンを支払うべく、消費者ローンなどから借り入れた結果、多重債務に追い込まれる事例など。そして、いったん破綻してしまうと、民間の賃貸住宅への入居が拒否される状況。そして、公営住宅は競争率が数倍で、入居できる可能性は低い。本当にホームレスまで、紙一重なんだな。
 第二章は雇用の不安定化の状況。各地のチラシの求人から、正社員の募集が激減している状況。軽急便の事務所での爆発事件が取り上げられているが、個人請負とか、個人事業主の運用は厳格化されるべきではなかろうか。
 第三章は金融公庫の廃止の問題と不動産をキャッシュフローを生む資産にしようという動き。同時に借家人の保護に関しても法的制限が取り去られる。居住権の保障は放置して、土地投機家の利害の優先させる政策だよな。住宅ローンの証券化って、結局アメリカでは破綻したわけだが、現在の日本でどの程度導入が進んでいるんだろうな。
 第四章はマンションの建て替え問題。総合規制改革会議の主導で、建て替えの要件の緩和が行なわれたこと。法制審議会に圧力をかけて、通した状況とか。少数者の権利の擁護は必要だと思うのだが、企業優先で無視されてしまった状況。土地ころがし業者の議論だよな。
 五章はまとめ的な章。「企業に奉仕する公共」って節があるが、まさにその通り。雇用の不安定化と不動産関連の規制の市場主義的な改変。それに対して、「居住権」という考え方が人権のひとつとして出てきているが、それはアメリカや日本は受け入れていないと。しかし、この前の「シャラップ」でもそうだが、日本政府は人権規約関係に関しては徹底して不誠実だな。
 第六章は災害による住宅の破壊の問題。コンクリの品質のばらつきや消耗品と考える建築の思考法。旧耐震基準の建物に対して経団連が2003年にうちだしたスクラップアンドビルドもまた乱暴だよなあ。その後に、各政党へのインタビューがついている。


 以下、メモ:

 日本に先んじて「解雇の自由」と「雇用の非正規化」を推進してきたアメリカは、国民の持ち家志向が強い国といわれ、持ち家率は六八パーセントにも達しているが(American Housing Survey for the United States:2001)、1980年代以降、「住宅ローンの返済困難に陥る人」も4-5%台で推移している(National Delinquency Survey,Morgage Bankers Association)。これは日本の住宅ローン破綻率よりはるかに高い。p.18

 私がかつて取材した二十代の女性は、家を買った理由を「私にとって持ち家は精神的な保険でした」と言った。そして「保険」の意味をこう説明してくれた。
「三〇年後の家賃がどれだけ高騰しているか、考えたら恐ろしいじゃないですか。私たちの世代は年金なんかほとんどもらえないっていうし、食べていけないで死んでいくのかっていうことが、すごくこわかった。でも、持ち家があれば追い出される心配はない。家賃も要らなくて、必要なのは食べていく経費だけ。それなら、わずかな年金でもやっていけるかなって」
 貯金が数億円あるのなら誰も老後の心配なんかしない。高額所得者ではないから、居住の安定を切実に求める。また最近は、雇用の流動化が進んでいるからこそ、せめて「誰からも出て行けと言われないマイホーム」を持ちたいという願いもあるだろう。p.67

 住宅金融公庫法が改正されて一年。衆議院参考人として発言した大泉英次教授を訪ねた。
 ――先生は国会で、欧米といっても「ヨーロッパとアメリカは違う」と言っておられましたが、どう違うのでしょうか。
「決定的に違うのは、持ち家の比率が非常に高く、しかも公的な借家の比率が非常に低いのは、日本とアメリカだけだということです。ヨーロッパでは公共賃貸のウェイトが高い。おのずから力のある人が持ち家を選ぶ。けれど日本では、誰しもが持ち家に行かざるをえない。借家に対する公的なサポートがあれば、居住に対する不安感は解消されるだろうと思います。p.80

 東京で仕事をするファイナンシャルプランナーの安田みゆきさんをたずねた。(中略)
 ――お金がないからこそ、家がないと不安だと、聞いたことがあるのですが。
「あ、『お金がないから、買わないと不安だ』と、それはみんな言いますよ。特に女性で独身の人は。男の独身はなんとかなると思っている。けれど、女性の独身は仕事が不安定でしょう。職場で四〇代・五〇代の女性を切っているので『次は私だな』なんて、そんな話をクライアントから聞いたことがあります。会社のリストラで派遣社員にされてしまったと言う女性もいました。
 女性は仕事が不安定だし、もらう厚生年金だって少ない。だからこそ『ずっと安心していられる自分の場所がほしい』って、その気持ちは強いんだと思いますね」p.81-2

 雇用が不安定で、住宅政策が貧困な国ほど、持ち家志向が高いのかね。あと、これはリーマンショックの前の話だけど、その後どんな風に推移したことやら。
 居住権が保障されていないからこそ、居住の安定の確保は喫緊の問題となると。不安がドライブする経済って、不健全だと思うがな。しかし、家ってのは維持するにもけっこう金がかかるんだよな…
 しかも、そういう人たちが帰る家って、災害の危険が高い場所に立っていたりするという。

 そのうち二一六三人に対し、詳しいヒアリングが行なわれた。その結果、八三四人(有効回答の三九.八%)が、ホームレスになる直前の仕事を「常勤職員あるいは正社員だった」と答え、一七三人(同八・一%)が直前の住まいを「持ち家」と答えた。また、四九人(同二・三%)が、ホームレスになった理由に「ローンが払えなくなった」ということを挙げた。このヒアリングの結果を全体にあてはめれば、全国で少なくとも五七〇人以上の人が、ローンの返済に行きづまって路上へ出てしまったことになる。p.32-3

 ネットカフェや違法シェアハウスなんかの、居住の安定を享受できていない人ってどのくらいになるんだろうな。どういう状況にいようと、いきなりホームレスになる危険のある社会か。

 特定の会社の仕事をする人は、その会社の従業員である。けれども従業員としては扱われず、独立した自営業の形態をとる。こういう人々は雇用統計にも入ってこない。明らかに自社の仕事に人間を使うのだが、一切の雇用関係を切断するという意味で、これは究極の非正規雇用である。事件で亡くなられた方々に対してはいたましく言葉もない。人の命を奪うなどということは絶対に許されない。
 ただ、こういった人間の使い方に問題があることは確かである。経済学者の仲野組子さんは、著書のなかでこういう独立した業務請負――インディペンデント・コントラクターがアメリカで増えていることに触れ、こう指摘する。


 派遣は人材派遣会社に雇用責任を下請けさせる形態であるが、インディペンデント・コントラクツアーは、企業にとっては直接に雇用責任を逃れることができる形態である。企業にとっては、契約終了(解雇)の自由があり、各種の社会保障の掛金や付加給付はいらず、請負料金(賃金)のカットは思いのままであり、労働組合はつくられることはない。まさしく、雇用のフレキシビリティの完成した姿がインディペンデント・コントラクターという雇用形態である。(仲野組子『アメリカの非正規雇用』青木書店)


 企業にとっては、この上なく有利な人の使い方である。そして同書は、このまま企業のやりかたを放置すれば「労働者はみなインディペンデント・コントラクツアーになってしまう」というアメリカ労働者の声を紹介している。p.53-4

 完全に脱法行為だと思うのだがなあ。軽急便爆破の件、私などは、社長や創業者ならふっ飛ばしても許されると思ったりもする。中間管理職だとかわいそうだけどな。

 二〇〇〇年十月には、米国が日本政府への年次要望書で「米国は、多くの日本人が一九八〇年代の建築基準改正以前に建てられた建物に住んでいることに注目している」と伝え、「それらを建て替えて、良質なストックに置き換えれば、中古住宅市場が活性化する」と示唆している(米国の要望書について詳しくは、関岡英之著『拒否できない日本』を参照)。p.95

 まあ、ご親切なことで。
 つーか、本当に日本は内政までいじられているよな。一部勢力によるポリシーロンダリングもあるんだろうけど。

 この諮問機関が持つ感性は次の一語に集約されていると思う。「まさしく、そういうところこそ、派遣労働でプールしておき、必要・不必要に応じて使うというのが、賢いやり方」(平成十四年度『第十回総合規制改革会議』議事概要)。議事概要は「匿名」になっているから、どなたの発言かはわからない。これは医療労働者の派遣解禁について話し合われている文脈で飛び出した発言だが、この言葉づかいからは「プールされたうえ、必要に応じて取り出させるのは、自動車の部品じゃなくて人間なのだけど……」というためらいは感じられない。p.98

 いや、本当に死ねばいいのにとしか言いようがない。「必要のない」間も、人間ってのは維持する経費がかかるのだが。想像力のない人々だな。

 基本的なことに戻れば、『倒壊』にも書いたのだけれど、私は分譲マンションを推進してきた住宅政策そのものに間違いがあったと思っている。共有部分に支えられて成り立っている建物を、個人の持ち家としてかくも大量に売ってきたことが、今日のトラブルの種をはらんでいた。EUでは集合住宅は賃貸が基本であり、購入する場合も、建物の「所有権」ではなく「利用権」を買う形式が多いという。p.106

 確かにねえ。持分所有とか、利用権の売買にしたほうが良かったのは確かだと思う。

 森委員「それも違うのではないか。三十年も住み続ける保証をしてもらいたい、安心して住みたいと報告されているが、それは借家人の言い分である。所有者の言い分ではない。所有者は一番いい時に買い換えるということが必要である。その辺は論理のすり替えが起こっている気がする」p.111

 さすが土地転がし屋の言うことは一味違いますな。森ビルの社長らしい言い分だこと。住む人間にとっては当然の論理なのだが。引越しにはコストもかかるし、人間関係の再構築とかも必要になるのだが。論理をすりかえているのはお前だ。