渡邊大門『牢人たちの戦国時代』

新書726牢人たちの戦国時代 (平凡社新書)

新書726牢人たちの戦国時代 (平凡社新書)

 牢人の存在を、鎌倉時代から戦国末まで追った本。室町時代の赤松家家中と戦国末大阪城に関連するエピソードが充実している。浪人とは、最初は課税対象から離脱した流民を指し、鎌倉時代まではその用法が主体だったとか。
 武士身分の「牢人」が目立つようになるのは、室町時代の後半になってから。守護家の内紛で、敗者側についた勢力が「牢人」と称せられるようになる。また、嘉吉の乱で討たれた赤松家の残党の話が興味深い。追っ手がかかって関係者が次々と討取られたこと。一方で、伝を頼って生き残った者もかなりいたこと。十数年後に、神璽奪還の功により復帰することになる。播磨・備前・美作の守護職応仁の乱のさなかに奪還されるが、24年もたっても、山名氏の支配があっさり崩壊するってことは、山名氏の支配がそうとう在地に嫌われていたのだなあと。
 2/3程度は戦国時代。戦国大名の滅亡によって、大量に牢人が輩出されることになる。特に、関が原の合戦で西軍に与した大名が改易され、浪人があふれることに。彼らは、再起をかけて大阪の陣で豊臣方に加わることになる。豊臣家は、金をばら撒いて、牢人たちを集めた。そのなかの真田幸村長宗我部盛親後藤又兵衛などの有名人については、かなり紙幅が割かれている。
 牢人たちは治安上危険な存在として、取締りの対象になっていたこと。京都では、居住には許可が必要であったこと。ずいぶん後になって、そのような規制は緩和されるようになっていったこと。
 あと、八丈島に流された宇喜多秀家のエピソードがなんとも。有名なエピソードだけど。結局、江戸時代を通じて、子孫が存続、近代にはいって本土に移住しているそうな。