今回のJR福知山線脱線事故では、JR西日本社員の動きの不適切さが多いにクローズアップされている。事故発生時に動けなかった車掌、乗り合わせた職員が救助作業に加わらず通常出勤したこと、そしてボーリング大会。
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これらの醜態を見ていると、普段からの訓練、突発事故に対する心構えがいかに大切か思い知らされる。人間、突発的な事態に遭遇した時、動き方が身についてなければ、適切な行動が取れないのだな。これらの訓練・心構えを「安全文化」、ないしは「危機管理文化」とでも言うのだろうか。JR西日本には、そのような「安全文化」「危機管理文化」が、上から下まで、全く根付いていなかったようだ。事故当日、記者会見で、質問に答えられず、中断をくりかえした醜態は記憶に新しい。上に自覚がなければ、訓練なども行われず、事故時の振る舞いが全体に身に付くこともないだろう。
これと好対照をなすのが、以下の記事である。
警備員の教育指導を行う資格を持つ。指導内容の一つに「非常時の人命救助」がある。現場の行動マニュアルも熟知していた。ためらわず大声を上げた。「おーい、救助するぞ!」。騒然とした事故現場に十五人ほどの男女が集まった。
最初に声をあげた警備員は非常時の動きに通暁し、近隣の住民も災害に対する意識が非常に高かった。
今回の事故に限らず、普段身に付いた行動が非常事態に命を左右することは多い。
極端な例を一つ挙げると、広島に原爆が落とされたとき、満員電車の中で一人だけ助かった人の話がある。これは小学生か中学生のころ、爆心地500メートル以内にいて助かった人が、どのような状況で助かったか、インタビューした本で読んだものだ。その人は、軍隊で訓練されていたため、ピカッと閃光が光った時に、とっさに伏せたそうだ。その結果、他の客が盾になって助かったと言う。これは、異常を感じたら伏せるという、体が覚えこんだ動きが命を救った事例と言える。
逆に、異常事態には、体に染み付いた動き以外はなかなかできないと言うことを示す事例としては、朝日新聞に今年の3月20日ごろに載った、ルポライターの地下鉄サリン事件に関するコラムがある。そこではサラリーマンが普段と同じような動きで、改札を出て行き、倒れる人々にも目もくれないと、日本社会の酷薄さを嘆いていたが、これこそ本当の非常事態には、普段やっていることしかできないと言うことではないだろうか。かつてない現象に、体に染み付いた動きで対応する。駅員は、駅員として職務に殉じる。
そのように考えると、学校の避難訓練はけっこう重要なのかもしれない。当時は、かったるいだけで、あまり意味があると思っていなかったが、そのようなイメージを生徒に植え付ける上で、重要なのだろう。
この事件での、JR西日本の対応を見ていると、このような大事故が発生したときにどう動くかのイメージがどこにも存在しないように見受けられる。会社の上層部、管理職、事故が起きた管区以外の職場、列車の乗務員、それぞれがどう動くか、前もって考えてあれば、ここまでバッシングをうけることはなかっただろう。そして、組織全体の危機管理の意識の欠如の責任を取るべき人間が居るとすれば、それは経営陣・上層部だろう。「大変情けなく、残念な気持ちでいっぱいです」なんて、半ば他人事のようなコメントで済まされるものではないだろう。一般社員の行動には、あきれかえるが、責めようとまでは思わない。
あと、私にとっては、政府の動きの速さはけっこう意外だった。比較対照の基準が、阪神大震災時の政府の動きだから、比べるのもなんだが…。ここ数年の経験値の蓄積・体制の整備と、非常事態への振る舞いで人気を維持してきた首相の感度というトップの個性が大きいのだろうな。