舟田詠子『パンの文化史』読了

パンの文化史 (朝日選書 (592))

パンの文化史 (朝日選書 (592))


パンの歴史を多方面から追求した本。
パンの始原から近代に至る歴史、ヨーロッパの村落におけるパン作りの民俗的な調査、中世ヨーロッパのパン、パンの文化的意味づけなど。
ヨーロッパの村落のパン作りをフィールドワークした、第4章パンを焼く村を訪ねてが興味深い。
村落の社会構造、原料が小麦かライ麦かといった地理的・社会構造をストレートに反映したパン作りのそれぞれのあり方を直接の取材で明らかにしている。
また、ヨーロッパの伝統的な生活様式では、パンは作りだめするもので、現在の日本人が食べているような生食(?)ではなく、固くなったパンをスープに入れるなど工夫が必要なこともわかる。
ドイツ語はまったくだめなので、参考文献がドイツ語文献ばかりなのには少し閉口する…


以下、雑穀。粥に関するメモ。

コムギの取れないノルマンディ地方(フランス)の農民は、ソバ粉で焼く習慣であったが、…(p.45)

次に各層から出土した「保存用のカユ」というのも、大変興味深いものである。一時期に集中して収穫したムギを、長期間貯蔵することを可能にし、さらに半調理品だから、後で、食べるときの手間もかからない。年中平均した食料計画を立てられるようになっていたことが分かる。このツブガユは、パン以前から存在し、パンの出た層でも、パンと併存していたことが判明した。このようにパンとツブガユの両方をつくっていたのには理由が考えられる。
まず素材の問題である。当時はパンに適したコムギだけを常に確保できたわけではなく、特定の品種が不作の年にも、他の品種でバックアップできるように、数種のムギを栽培していた。グルテンをふくまない穀物はパンには不向きで、むしろカユにする方がよい。この遺跡でも素材により、パンとカユを使い分ける必要があっらのであろう。カユは、新石器時代、古代ばかりではなく、中世をつうじて現代に至るまで、農民や、社会の下層にあった人びとの主要な食べ物だったのである。
(p.80-81)

ところで、大航海時代に、新大陸や東洋から、ヨーロッパにさまざまな食材がもたらされたわけだが、これらの食材はパンにどのような影響を与えたのだろうか。それを教えてくれるよい情報源がある。イタリアで、十四世紀に出版された、ペトルス・ドゥ・クレシェンティイスの『新農業』という書物で、その改訂版が1602年にドイツで出た。ここに当時の農作物とその食品が網羅されている。その十五巻「パン焼きについて」には、在来の一般的なパンのほか、戦時下のパン、飢饉のさいのパン、新素材のパンなどが網羅されている。…原文の順にすべてを挙げたのが137ページの表である。
思いがけないものでパンを作るものである。第一の注目点は、1602年にすでに新大陸渡来のトウモロコシのパン(12、16)があったこと。これはトウモロコシ実用化のかなり早期の例である。…北アジア原産のソバ(6)が入っている。ソバは1500年以降に、ロシア経由で東ヨーロッパへ、ベニス経由でイタリア、さらにアルプス一帯へ、あるいはベニスから海路アントワープ、さらにフランスへと伝播した。…

パンの素材についてはムギの外にキビやアワ(14、17)という古代の雑穀で作られた無発酵のパンが、まだ記載されている。これは後にトウモロコシに押されて、ヨーロッパでは衰退してしまう穀物である。
(p.138-139)