六車由実『驚きの介護民俗学』

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

 民俗学の研究者から介護職に転じた著者が、老人ホームで出会う人々との交流から見出した、民俗世界。さらに、そこから介護へどのような貢献が可能かといった話。もとが看護学の雑誌での連載だけに、読みやすく、非常に楽しい。
 最初の二章は介護現場から民俗学への貢献といった感じかな。介護施設に集まる人々からのテーマを持たない聞き書きの面白さ。さまざまな人生を進んだ人がいて、そのような人々から話を聞くことが開く可能性。博労や送電技術者、兼業流しのバイオリン弾きとか、今は見かけなくなったような職業の話が非常におもしろい。あるいは体に染みついた動作がどれだけ根強いか。
 第三章は民俗学的知の介護現場への貢献といった感じか。認知症となり、一見支離滅裂なことを話して、コミュニケーション不能と思われる人の話を我慢強く聞くことにより、その人なりの行動原理を見いだしていく。もともと介護の現場では、「話を聞く」「傾聴」というのが、相手の話している内容まで踏み込まない、むしろ非言語コミュニケーションを重視しているというのも興味深い。繰り返し行動や問題行動の背景を理解することは、同じ行動に対処する場合でも、介護職員の精神的負担を減らし、ひいては介護を受ける側のクオリティオブライフを高める役に立つかもしれないな。
 第四章は介護における非対称の問題。回想法の極力メモを避ける、テーマから外れないようにする、事後評価などの方法への違和感。そこから、介護職員と被介護者の間の非対称性、あるいは権力関係といった状況とそれに対する一時的逆転の意義。
 終章は人手不足の介護現場での取り組みの難しさ。恒常的に人手不足の介護現場で、じっくりと話を聞くことが難しい状況。その中で、相手を一人の人間と見なくなっていくような感覚。しかし、このあたり難しい。介護職が激務の割に給与が少ない待遇にあり、結果として新しい人が入ってこない状況。それに対して、待遇改善の原資をどこから引っ張ってくるか。そうでなくても、介護って誰にでもはできる仕事ではなさそうだし。私など、速攻で虐待事件でも起こすか、自分が鬱病で壊れるかのどっちかだろうしな。現場の人のむしろ積極的に話を聞かないという考え方にも一理はあるともいえるし。施設側も管理責任があるだろうから、おいそれと民俗学者をボランティアとして受け入れるわけにもいかないだろうし。
 難しい問題は置いておいて、聞き書きから展開する民俗世界が非常におもしろい作品。


 以下、メモ:

 そのような感想が私には少し意外に思えた。たしかに「土佐源氏」は魅力的な文章ではあるが、馬喰という言葉が即「土佐源氏」を想起させてしまうのは、宮本常一以降、馬喰についての調査研究があまりされてこなかったからではないか、と思えたのである。
 そこで私はあらためてGeNii(ジーニィ)で「馬喰」と「博労」をキーワードに検索してみた。GeNiiは、論文、著書、科研の課題・成果など、国内のあらゆる学術研究について検索できる国立情報学研究所運営のインターネットサイトである。ところが、「馬喰」「博労」をタイトルにかかげた論文や著書のヒット件数は予想以上に少なく、民俗学関係の研究については筑波大学の大学院生による数年前の論文のほかはほとんどないことがわかった。p.22

 そういう状況なんだな。今となっては失われた職業だし、安定した職業でもなかったようだから、そういう扱いになるのかもしれないが…

 それ以降、私の仕事の中心を占めるようになる『思い出の記』の作成は、こうして鈴木正さんから始まった。正さんの『思い出の記』が完成してから間もないころ、私は、定期的に行われている京都認知症介護研究会の講師に呼ばれ、「介護民俗学」の取り組みについて話す機会を得た。そこで正さんへの聞き書きのことを紹介すると、参加者のなかからこんな感想が出された。
認知症の方から、よくこれだけのことを聞き出すことができましたね」
「そもそも認知症の方の言っている言葉を丁寧に聞こうとしたことがすごいですね」
 こうした感想は私には少し意外だった。それだけこれまでの介護の現場では、認知症の利用者の「心」や「気持ち」は察しようとはしていたが、語られる言葉を聞こうとはしてこなかったということなのだろうか。香川ハルさんについても、鈴木正さんについても、認知症の利用者の言葉というのは、一見すると脈絡もなく、意味のないものとみなされてしまいがちだ。しかし民俗学における聞き書きのように、それにつきあう根気強さと偶然の展開を楽しむゆとりをもって、語られる言葉にしっかりと向き合えば、おのずとその人なりの文脈が見えてきて、散りばめられたたくさんの言葉が一本の糸に紡がれていき、そしてさらにはその人の人生や生きてきた歴史や社会を織りなす布が形づくられていくように思う。p.110-111

 まあ、その「ゆとり」がないんだろうな。しかし、自分の話すことを理解しようとしてくれる人がいるのは、その認知症の人にも良いことではないかとは思う。