宇江敏勝『熊野川:伐り・筏師・船師・材木商』

熊野川―伐り・筏師・船師・材木商 (宇江敏勝の本・第2期)

熊野川―伐り・筏師・船師・材木商 (宇江敏勝の本・第2期)

 熊野川流域の林業関係者や河川交通関係者への聞き書きをまとめた本。大体、材木を筏流ししていた、20世紀中ごろが中心。1980年ごろのインタビューに、団平船関係の記事を付加した構成。
 最初は立木を伐採する伐りの人の聞き書き。炭焼きから伐採への転身。実際の作業。山小屋を作って、そこで自炊しながら、請け負った作業場所を伐採する。その、伐採場所の決め方、道具、実際の作業のやり方などなど。戦前には、自然林が豊富にあって、立派な木が大量にあったんだな。多くの人々の雇用を提供できるほどの資源量があったと。あと、巨大な重量を扱うことの怖さ。いったん、動き出したら人力では制御できないんだからおそろしいよなあ。そして、そんな巨大な材木を、運び出す労働の大変さ。人力でやっていた時代には、4メートル程度に切り分けて、運び出していたようだ。断崖に木で道を作って、運んでいる写真が掲載されているが、本当にきつそうだし、事故が起きそう。最終的に、チェーンソーが導入されて、能率が上がったが、最終的に振動病で健康を害して引退したそうで、ああいう振動は本当に健康に悪いんだなと。
 第二章は、筏師。伐りだした材木を、筏に組んで、下流新宮市まで運ぶ。戦前には、上流には五条市方面から車道が通じて、木材がトラックで搬出される状況。さらに、戦後には熊野川流域全域に、車道が開通し、筏流しは衰退していく過渡期といっていいのかね。筏を組む土場所の話や藤葛で丸太を結ぶので大量に消費し、周囲で購入していた状況など。冬でも川に入って、筏を組まなければいけないというのはつらいな。熊野川流域では、台風を警戒して、夏場にはあまり流さなかったというし。あとは、水量の少ない支流では、堰をつくって一気に流すとか。下流まで運んだ後は、歩いたり、船で上流に戻ったそうで、地理院地図を見ると、当時のルートがまだ残っているように見えるところもあるし、逆に、痕跡が地図では見えなくなっている場所もある。熊野川流域の筏流しは、車道の整備によるトラック輸送への転換、さらにダム建設による流路の切断で、昭和30年代に終焉を迎えることになる。トラックやバスの運転手に転業したり、店を持ったりした人が紹介されているが、廃業後は苦労した人も多かったようだ。
 第三章は新宮の材木商の話。河川交通が盛んだったころは、河原に町があって、そこは水かさが増すと建物を分解して避難する仮設の町だったと。最盛期は明治から大正で、昭和にもそれなりににぎわっていたこと。宿屋や鍛冶屋が店を構えていたこと。河川交通が衰退すると、人が少なくなり、今は無人の河原に戻っているという話が興味深い。今、新宮市を地図で見ると、隅々まで区画整理が行き届いていて、かつてどうだったのかというのは分かりにくい感じだが。杉本商店という店の展開がメイン。小割問屋から身を起こし、新宮を代表する問屋に成長、市長を出すまでになる。貯木場や製材所、販売先として明治の初期には東京がメインであったこと。しかし、東北鉄道の開通以降、東北産の木材に市場を奪われ、大阪や台湾との取引に移って行く状況。空襲や南海地震による市街地の被害。さらに、材木が流失した場合に、回収する努力が興味深い。漂着物は自分のものと考える海辺の人々と流失した丸太を回収しようとする山の人々の認識の差。戦後の植林ブームや外材依存の拡大など。
 最後は、人や物資を輸送する団平船の船頭さんの話。木炭や板、シイタケや楮などを下流に運び、上流には米や醤油、味噌、塩漬けサンマなどの食料品が上流に向けて輸送された。風の状態がよければ帆をはって上流に向ったが、瀬や風の都合が悪いときは、人力で引っ張って登っていたそうだ。きつそう。あとは、木材の筏とのいざこざとか。筏師と船師の見解の差が興味深い。あと、熊野川では、スクリューではなく、上につけたプロペラで推進する「モーター」と呼ばれる船が就航していて、人員や生ものなどは、これが運んでいたという。
 かつての姿が描かれていて、興味深い。しかし、何でも人力できつそう…


 以下、メモ:

 昭和十四年四月から、二十年の終戦まで、蛭谷をはじめ、正木谷、中小屋、黒蔵谷などにおった。営林署だと軍需工場への徴用が免除になるということだったが、リンは安いし、役人がまわってきてうるさいこというし、徴用とおんなじやったな。軍へ供出する用材を伐ったんだが、兵隊にとられて人手がないもんだから、せっかくの丸太を山でどっさり腐らせたわ。p.54

 もったいない。というか、こんなことをするから山が荒れたんだよな。

 あのね、床受けでトラックを下ろしたこともあるんやぜ。うん、十津川の風屋から蕨尾まで。そこの男が近くの谷の川原敷をトラックで材木を運ぼうとしたんや。木馬よりはええいうての。ところが道路はまだかみからきて風屋どまりやさか、なんとか筏に積めんか、となったわけや。
 さあ、筏はふつうより短こうしてシリのほうにとくに太うて軽い長材をつけて、そこに床受けをこしらえた。四トン車ぐらいの小さなトラックじゃったが、ワイヤーで吊って乗せるのがえらかったわよ。材木にトラック積んで運んだちゅうのは、まあ、前代未聞やろのう。p.148-9

 なんかすげえ…