文献メモ

飯塚陽介「明治日本における機械取引 : 新商品としての機械とその衝撃」
 明治初期に機械を取り扱う商人が、その商品について素養を持っていたわけではなく、横浜の機械専門の専門商館・技術者や仲介の日本人ブローカーの支援によって、行なわれていたこと。東京周辺の水運に蒸気船が導入され、それが初期の機械市場を提供したこと。それに機械を供給する商人は、船具を扱う商人の兼業で、必ずしも機械に詳しくなかったこと。結果、粗悪な機械の流通も見られたという。
 明治後期になると、機械化が一段落し、買換えなどの需要を創出する必要が出てきた。この中で、カタログを読みこなす英語力や機械についての専門知識を持ち、新規機械の意義を説くことができる、セールス・エンジニアの活躍する余地が出てきた。しかし、このような機械に関する知識は個人が保持するものであり、かれらを統制することが難しくなった。高級での引き抜きや不正などが起きる。このような店員統制は、当時の商家にとって深刻で、機関紙でもさかんに議論された。また、このような議論からは、近世からの丁稚・手代と昇格する旧来からの管理システムと、専門職をパートナーと見なす新しい見方の並存も見て取れると言う。


北原聡「? 近代大阪の都市内水運」
 近代を通じて、海運・水運は、大阪の消費物資や工業の原料の移入、工業製品の移出に大きなシェアを持ち続けていたこと。結果、大阪市内では、橋の建設が妨げられ、渡船が主体になっていたこと。交通の限界に達しても、舟運を利用する産業界からは架橋への反発が強かったこと。このような状況は戦後まで続いていたという。現在でも、下流は輸送が優先となっているため、歩行者などにとっては橋が使いにくく、渡船が維持されていると。川から見た大阪。


カワサキZの源流と軌跡
 メモ。後で読む。