平田剛士『非除染地帯:ルポ3・11後の森と川と海』

非除染地帯―ルポ3・11後の森と川と海

非除染地帯―ルポ3・11後の森と川と海

 2013年の冬から2014年の春にかけて、福島の居住制限地域を回り、自然環境や人間と環境のかかわりの変化をルポした本。
 放射性物質の拡散によって、山の幸・海の幸の利用に関しては、少なくともリスク管理が必要になったこと。結果として、狩猟圧が低下し、さまざまな動物たちが増加・拡散していく状況。人間がいきなりいなくなったことが与える影響の大きさ。原発周辺の汚染レベルが高いところでは、調査やパトロール被爆を抑えるため、十分にできず、このままだと野生動物の根城になってしまいそう。イノシシやクマなどが、汚染地域を聖域として、周囲にとめどなく溢れていく可能性が高い。また、放射性物質に汚染された個体が移動し、広範囲で検出され、出荷停止の範囲が広がっていく。
 イノシシ肉のリスク管理の提言も興味深いな。イノシシの肉を「一般食品」から除外し、500ベクレル/キロへ制限を緩和。一方で、個々の食べる側でリスクを管理する。そのことによって、一律のイノシシ肉の出荷制限を撤回し、狩猟活動を活性化させるか。


 ある程度時間がたって、汚染の度合いは下がりつつあるが、土壌やそれが流水によって集まる河川の底の汚染の度合いは依然として深刻であること。特に、土壌から餌を漁るイノシシや川底の苔と同時にさまざまな付着有機物質を摂取するアユの汚染状況が深刻と。土壌といえば、土の中で生きるモグラなんかは、どの程度汚染されているのだろうな。逆に、回遊魚や海の魚は、かなり汚染が減っていると。時に、1キログラムあたり100ベクレル以上の個体も出てくる状況ではあるが。


 放射性物質による汚染は、個々の生物単位では悪影響を与えつつ、人間の撤退によって生態系の多様性は拡大させる。しかし、見た目や繁殖では、健全に見えても、免疫に異常がある可能性があるなど、見えないところで問題が起こっている可能性はありうる。野生動物に、継続的かどうかは別として、悪影響が出ているかもしれないってデータはある。2012年のシーズンの虫こぶをつくるアブラムシでは、有意に奇形や死亡率が高かったこと。放射線に弱い個体の淘汰が行なわれた。あるいは、福島市内で捕獲されたニホンザルと東北下北半島の個体との比較から、造血機能の低下が見られる。そして、食用となる動植物以外のモニタリングは、実際には、足りていない。データはあちこちで穴だらけであると、指摘される。生態系への影響を図る上では、モニタリングする種類や場所などを拡充する必要があると。
 人間の内部被爆の阻止には成功したわけだが、無策だったら、なんらかの被害が出てもおかしくなかったと。そういう意味で、食料品の管理政策は成功を収めたと言えそう。


 以下、メモ:

「虫こぶの中で、形態異常や発育不全をきたしている個体が高い割合で見つかりました。それに脱皮に失敗して死んだと見られるものも。これまで他の地域では全く報告のなかった状態のものです」
  (中略)
 秋元さんは、山木屋産の全一六七個体の観察結果を「正常」、「発育不全」(脚や触覚の一部もしくは全部が欠けているもの)、「異常」(尾部の分離、体の非対称化といった重篤な症状をきたしているもの)の三パターンに分け、それぞれ出現割合を調べた。そして、北海道岩見沢市で一九九七年と二〇一二年に採集した同種の虫こぶと比較してみた(グラフ)。一目瞭然、山木屋サンプルの「異常」「発育不全」個体の出現率は、岩見沢サンプルのそれを大きく上回った(前頁のグラフ)。
「統計的に有意な差が出ました。つまり通常(岩見沢の標本群)とは明らかに異なっているということ。形態異常や発育不全が集中してこんなに出てくるのは、ただごとじゃない」
 と、秋元さんは話した。p.41-2

 昨年(一三年)九月、日本霊長類学会と日本哺乳類学会が岡山市内で共催したシンポジウムで、三人の研究者たちが福島県内での野生ニホンザルについての調査結果を報告した(『哺乳類科学』五三巻二号、一三年)。福島県では震災前から、農作物被害対策の一環としてニホンザルの個体数管理政策が進められてきた。県内の主な群れについて詳細なモニタリングが行なわれていたので、モニタリングされていなかった他の野生動物に比べると、震災や原発事故によって群れの様子がどのように変化したのか、つかみやすい条件にある。
 福島市にある新ふくしま農業協同組合・危機管理センター長の今野文治さんのよれば、双葉郡浪江町から北方の南相馬市飯館村・相馬市にかけてのエリアには「原町個体群」と名付けられたニホンザルの群れが生息し、震災直前の調査では合計一九九〇頭が確認されていた。震災が起きて、避難区域内での詳しいサル調査は中断を余儀なくされているが、旧警戒区域にパトロールに入った有害鳥獣捕獲隊が捕獲したサルを引き取って調べたところ、一二年十二月十一日捕獲の個体から二万六三〇〇ベクレル/キログラム、一三年三月六日捕獲のものから五万三六〇〇ベクレル/キログラムの放射性セシウムが検出された。
 いっぽう、「福島ニホンザルの会」(福島市)の大槻晃太さんは、飯館村(原町個体群の生息エリア)に隣接する伊達郡川俣町(福島第一原発から三〇〜五〇キロメートル。一部が被災後に計画的避難区域、後に居住制限区域・避難指示解除準備区域)で、サルたちが主食にしている植物類の放射性セシウム汚染度を測定した。すると、マタタビの実で約一一〇〜四九〇ベクレル/キログラム、アケビの実で三〇〇ベクレル/キログラム前後の値が出たほか、サルたちの冬場の主要な餌となるクワの樹皮で約一〇〇〇ベクレル/キログラム、秋に好んで食べるコナラのドングリに五〇〇ベクレル/キログラム以上のものがみられたという。
 また、日本獣医生命科学大学(東京都武蔵野市)の羽山伸一教授は、事故原発から約六〇キロメートル離れた福島市内で一一年四月十一日から一三年五月六日の間に管理捕獲(個体数調整)された四三七頭ニホンザルの解剖結果を報告した。筋肉中の放射性セシウム濃度は、当初一万〜二万五〇〇〇ベクレル/キログラムの高いレベルをマークした後、一一年夏までにいったん一〇〇〇ベクレル/キログラム程度に低下したものの、冬になると二〇〇〇〜三〇〇〇ベクレル/キログラムを示す個体が現れ、十二年四月以降は再び低下傾向を示したという(数値はいずれもセシウム134と137の合計)。
 さらに血液を検査してみると、北に四〇〇キロメートルほど離れた青森県下北半島に生息するニホンザルたちに比べて、福島市個体群では、
「血球数や血色素濃度などが有意に低下し、特に幼獣で造血機能の低下が考えられた」(羽山さん)
 つまり、福島市のサルたちは原発事故発生の後、貧血状態に陥っていた。
 同じ県内でも三人の研究者たちが調査をした地点はバラバラで、それぞれ地形も植生(サルの食べ物)も個体密度も、もちろん放射能による土壌汚染も空間線量も異なるから、これらの調査結果を一緒くたにはできない。
 ただ、事故原発から一番遠い福島市のサルたちに見られた「造血機能の低下」が、もし放射能汚染の影響で引き起こされたのだとすれば、その数倍も高濃度の放射性セシウムを体内に持ち、空間線量も高い旧警戒区域のサルたちが、よりひどい影響を被っている可能性はある。また、福島市のサルの体内の放射能濃度が冬に上昇し夏に下がるのは、川俣町で調べられたように、冬の主食が特にひどく汚染されているせいだと考えればつじつまは合う。
 彼ら三人のリポートを含め、これまでのところ、福島県や近隣県の野生ニホンザルたちの群れに何らか目に見える形での健康被害が出ているという研究報告はない。サルたちの群れは従来通りに存在し続け、繁殖もうまくいっている(ように見える)。
 しかし、一四年三月十二日、都内で開かれた「野生動植物への放射線影響に関する意見交換会」(環境省主催)に出席した羽山さんは、こう釘を刺すのを忘れなかった。
「十数年前、環境ホルモンの問題が騒ぎになった時、野生動物の個体や個体群、あるいは生態系への影響といった目に見えるものにつながらなければ、“この化学物質の影響はない”と判断する意見が多くて、国のモニタリングも結局一〇年で打ち切りになってしまったんですが、それは間違っていたと思います。ヨーロッパのある種のアザラシ類は、環境ホルモンに汚染されていた間、個体数はずっと増え続けていました。しかし実は免疫機能が影響を受けていて、その後、新種のウイルスのよる感染爆発が起きた時、いっぺんに八五%ものアザラシが死亡しました。東北地方でも将来、そういった何かが起きないとは言えない。個体と群れの両方のレベルで、野生動物たちの動向把握をちゃんと続けていくことが必要です」p.120-3

 そもそも、筋肉内の放射性セシウム5万ベクレルって、どの程度の汚染具合なのかが、よく分からない。