一度、読んで、そのまま読書ノートにまとまらず放置状態で数ヶ月おいて、年末まとめのために、読み直して、まとめ中。
西暦800年から1000年ぐらい、9世紀、10世紀の平安時代前半の変化を描く。大まかにまとめると、無駄に事務量が大きかった律令制度のダウンサイジングというか、「国家」の家制度の集合体への再編と言うべきか、大陸からの軍事的脅威が薄れた結果の国家の弛緩と言うべきか。上に昇進するクラスの公卿でも、地方官として赴任していたのが、京に篭るようになった時点で、やはり朝廷支配の空洞化としか言いようがないよな。
デタントで、軍事負担が減ったら、そりゃサボりたくなるのはわかるけど。冷戦終結後のドイツなんかと同じで…
十二単などの平安イメージの服装が、実際には院政時代のイメージというのも興味深いな。近代に入るまで、それ以前のコスチュームについては失伝していた。近代の歴史研究で復元されたという。
あと、全体としてジェンダー的な問題も基調になっているか。女性が政治の場から排除されて、本名さえも不明になっていく。一方で、家制度に押し込められていく中から、宮中のサロン文化が形成され、そこから天皇家の財産を集積しまくった八条院などの女院権力が出現していく逆転劇も興味深い。
桓武天皇の全方位敵対のダッチロールからはじまる平安時代。天武系、聖武天皇の系列から外れたため、保守本流と距離がある。さらに、皇太弟早良親王を廃したことにより奈良の仏教勢力を敵に回す。その中で中華風の儀礼を取り入れたり、伊勢神宮をいじったり、都を山城盆地に移動したりしたのが、平安時代への遺産になる。
あとは、9世紀いっぱい、男女ともに、低い階層からデキる人間を引っ張り上げるシステムがあったというのが興味深い。儒学などの漢文知識を身につけた文人官僚が、大学を通じて、全国規模で選抜されて、出世。全国規模の問題に対応する。それが、菅原道真の失脚を契機に消滅する。遣唐使の廃止に代表される外圧の消失が、けっこう大きいのだろうな。国家としての「枠組み」が曖昧になる。
女性も、奈良時代には、貴人の身辺は女性が固めるというジェンダー的な規範によって、天皇に近似し、意志決定や様々な管理業務で重きを成した。こちらも、地方豪族出身の女性が、出世して、藤原家などの貴族と婚姻を結んでは、別れるといったライフコースもあった。しかし、こおような「内廷」は蔵人の設置などによって権力を浸食されて行くことになる。
全体として、実力主義から、家格主義への転換。一方で、仏教の世界だけは、地方出身の猛烈にデキる奴が出世するシステムが残った。最澄や空海あたりも、地方豪族の出身。
一方で、嵯峨天皇は、天皇の岳父として家父長的に天皇に影響を及ぼしつつ、自分の息子たちに源氏を賜姓して議政官を制し、藤原氏のホープを娘婿にして、家長として政治を領導していく体制を築く。その後、このシステムは藤原氏に乗っ取られる形で改変され、すったもんだしつつ摂関政治へと繋がっていく。
女性の社交がなくて、内親王が結婚できない。和歌が出世と結びつかないアマチュアの文化であったのが、宮廷文化のなかで位置づけられ、プロの歌人が出現していく契機としての紀貫之。
宮中のサロン文化戦略。和歌を全部覚えることによる教養化。漢文知識で真っ向勝負を挑んだ中宮定子と清少納言、それに対して、抑制的ながらブレーンを揃えた藤原彰子と紫式部、赤染衛門、和泉式部たちのサロン。そして、サロン文化が継続していっての、女院権力と。
「源氏物語」が、同時代からは少しさかのぼった歴史ファンタジー小説なのか。