網野善彦・宮田登『歴史の中で語られてこなかったこと』再読


改めて読み返すと、網野善彦が私の歴史観に与えた影響の大きさを思い知らされる。
本書で対談している二人ともが、もうこの世にいないのか…
以下、ピックアップ。

市場ではすべてのものが「無縁」になる。つまり「神のもの」になるわけです。このことは中世史家の勝俣鎮夫さんもはっきり言っておられます。だから商品交換ができるわけです。ふつうの場所でものを交換すれば、贈与とお返しで人間の関係がむしろ緊密に繋がってしまうことになります。ものが「無縁」になる市場だからこそ、初めてものの商品としての交換ができるわけです。(p.89)

ここの指摘は興味深いが、世界全体で見ればどうだろう。日本の文化ではそうなるかもしれないが、ヨーロッパではどうなるのだろう。

百姓の実態はさまざまな生業に携わる多職種の人々が轡を並べていて、相互補完的にそれぞれの歴史を作っている。百姓そのものと誤解されていた農人もその中のひとつであると。それぞれの集団がネットワークを作り、絶えず連合を作っては壊し、作っては壊しながら歴史文化を作り上げてきた。
その中で、政治権力としての上からの権力ではなく、下から作り上げられた権力が生まれてくる。話し合い、談合、贈答といった形で生まれた権力は、いわば国家権力に収まりきれない部分であり、それを歴史と民俗の接点において見るという観点が必要になる。(p.132-3)

この指摘は、こう非常にしっくりとくる。
この観点からは、地理との接点も重要になりうるだろう。地域の定住史の観点から、地域社会の動向を分析し、それをより大きな政治や社会の動向と接続することができるのではないだろうか。

現在、コメどころと言われる東北、あるいは新潟のような稲作地帯が生まれてくるのは、近世的な現象なんです。とくに近世中期以後のことでしょうね。渋沢敬三が戦後まもなく言い切っていることですが、東北のコメの生産は企業だというのです。流れ者が来て水田を開いたわけではなくて、企業として水田の経営をやっているというのです。渋沢さんはやはり炯眼をお持ちですね。(p.226

東南アジアやインドあたりでもそうだが、基本的に米は輸出商品、外部に販売するものという性格が世界的に強いのではないだろうか。
あと、熊本県では、近世末期に灌漑や干拓など、水田開発が盛んに行われるが、これも同じ性格なのだろうな。貧しい地域だったという見方が一般的だが、この観点からの再検討が必要だと思う。

コメは貨幣にもなるし金融の資本にもなるという性格を持っている。これはおそらく「律令国家」ができる以前からのことで、古代、中世、近世を通じて、そうした性格をコメはずっと持ち続けていると思うのです。(p.229)

コメを貨幣と考えると、教科書的な律令国家や江戸幕府のイメージはだいぶ変わるな。