マクニール『戦争の世界史』読了

戦争の世界史―技術と軍隊と社会

戦争の世界史―技術と軍隊と社会


感想:
本書で描かれた歴史像は魅力的。非常におもしろかった。
14世紀以降の戦争の市場化、19世紀の戦争の産業化、特にド級戦艦の建造が軍産複合体の出現の契機になったと言う主張。市場経済と指令経済の対比。第二次世界大戦以後を、新たな指令経済の時代と規定する考え方もおもしろい。


ただし、これだけ扱う範囲が広い以上仕方ないことだが、議論が場所によっては非常に雑に感じる。
特にヨーロッパ域外の世界に関する理解のなさは看過できない。アブ・ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』でヨーロッパ中心主義であると指弾されているが、それもうなずける。
例えば、中国について、以下のように述べている。

中国社会の伝統的な秩序形成のあり方は、ついに一度も深刻な挑戦をうけたことがなかった。(p.70)

上記のように、中国史を静態的に定義したうえで、宋代の華北で達成された製鉄の技術革新が後代に継承されなかったことを、中国社会の政治構造・価値意識の問題としている。
しかしながら、宋時代とモンゴル帝国の時代、モンゴルの中華撤退と明王朝の出現という二つの断絶。それぞれの事件が、華北と華南の住民構成に大きな変化を引き起こしたということを考えると、「アジア的停滞」という思い込みに毒されているのではないかと感じる。
他にも、130ページで、「火薬帝国」について論じている。少し長いが、引用する。

ところが地球上の西ヨーロッパ以外の場所では、火砲の発達は起こったが、その対抗策であるイタリア式築城術は開発されなかった。そうなると運搬可能な攻城砲の持ち主の軍事的優位に対抗手段を講ずることは不可能であったから、アジアの大半と東ヨーロッパ全体に、西ヨーロッパ諸国と比べれば格段に大きな〈火薬帝国〉がいくつか出現した。十六世紀におけるポルトガルとスペインの海上帝国は一種の〈火薬帝国〉だと考えることができる。なぜならばそれらは軍艦に搭載されていた大砲によって防衛されたからである(つけ加えれば、ポルトガルの場合には、艦載砲は帝国を防衛しただけでなく、それを生みだしたそもそもの原動力であった)。艦載砲は、陸上に基盤をもつ国家の大砲と比べて、運搬可能性がより大きい点が主要な相違だが、大帝国を生みだす原理は同一である。中国の明王朝(1368−1644年)はそんなには大砲に依存していなかったが、インドのムガール帝国(1526年成立)、ロシアのモスクワ大公国(1480年成立)、東ヨーロッパとレヴァント地方におけるオスマン帝国(1453年以降)など、この時期ゼロから始めて急成長した帝国は、すべて大砲を原動力として築かれたのである。イランのサファヴィー朝帝国はその東西北の隣国ほど火薬に頼ってはいなかったが、ここでもシャー・アッバース(1587−1629年)の治世において新しい軍事技術は中央集権化の効果を大いに発揮した。同様に日本においても、1590年以降単一中央権力が樹立されたのは、小火器と、少数ながら大砲が、それまでの戦闘と築城の様式を少なくとも部分的には時代遅れのものにしたことに助けられたのである。
 ムガール帝国モスクワ大公国オスマン帝国の三つの〈火薬帝国〉の版図の広さは、それぞれの帝国軍隊の大砲がどこまで運搬できるかによってきまった。ロシアにおいては、航行可能な河川が通じているところならばどこであれ、モスクワ大公国は水運を利用して重い大砲を運んでいって在来型の防御施設にむけて撃ち放つことができた。インドの内陸では水運は利用できないので、ムガール帝国の権力確立は不安定なものにとどまった。なぜならば、バーブル(1526−30年)がしたように現場で大砲を鋳造するにも、その孫のアクバル(1566−1605年)がしたように地上を引いていくにも、非常に骨が折れたからである。(P.130-131)

ここでも、乱暴な議論が行われている。
帝国の拡大に大砲が一定の役割を果たした可能性は認めるにしても、それを主要因にしてしまうのは納得できない。そもそも「火薬帝国」の主要因は、むしろ銃だったのはなかろうか。例えば中国の築城を考えると(「長篠合戦の世界史」を見よ)、大砲の優位を過大評価するのは危険だろう。。


本書は、基本的に軍隊と物の関係(軍需物資の入手・兵器の開発など)を中心にすえて論じているが、前近代では、どのように人を組織するかという視点も避けては通れないのではないか。どのような人間集団を、どのように組織するか。近世のヨーロッパでも、軍人のリクルートには、地縁・血縁・政治権力の問題が重要なのではないか。


あと、原著の出版が1982年だけに、少々時代がかった部分がある。特に、第二次世界大戦以降を扱った部分にそれは顕著だ。例えば、以下の文章。

こういうわけで、第二次世界大戦では超国籍的ば組織形成が、それ以前のいかなる戦争よりも完成度の高い、そして格段に効果的なかたちで達成された。兵器生産が時とともにますます複雑になってきたので、一国家というのはもはや戦争らしい戦争を戦うには地位さすぎる単位となったのである。おそらくこれこそ、第二次世界大戦の最大の革新であった。そのことはもちろん平時における国家主権のありかたにも影響を及ぼし、国家主権は昔ほど神聖不可侵ではなくなった。それは、アジアやアフリカの諸国民が民族自決への情熱的なあこがれに突き動かされて、戦後最初の一〇年間に植民地としての地位を脱したのと、皮肉にも時を同じくして起こった逆方向の現象であった。
 重要度で超国籍的組織形成に匹敵する第二次世界大戦のもうひとつの革新が、武器の設計への科学知識の組織的な応用であった。さらにいえば、その時点では両者の重要度はあい匹敵していたとしても、戦争中の国際的経済協力機関は終戦とともにたいがい解散したのに対し、原子爆弾は今も厳として存在しつづけているのだから、長期的にいえば戦争遂行努力のこの側面の方がずっと重大だったのだとも主張できるだろう。(p.484)

冷戦が終結し、EUが出現する現在では、この評価はどうなるだろうか。今この時点で、どのような書き方になるか著者に聞いてみたい。


いろいろと瑕疵を挙げたが、ここまで大きな形で、戦争の歴史を論じた書物はほとんどない。本書は戦争の歴史を全体的に論じるうえで、大きな影響を及ぼし続けるだろう。それほどの名著・大著であることは確かだ。


メモ:

世界中の王侯にとって、銅と錫の入手可能性は死活的な戦略的重要性を帯びていたのである。
この事実は、この当時のヨーロッパ経済地理のパターンに反映されていた。たとえば中央ヨーロッパの銅と銀の鉱山重要性は急速に高まった。十五世紀末に南ドイツとボヘミアとその近接地域が突如として経済的に繁栄期を迎えるのは、ヨーロッパのこの一角の鉱山ブームと関係している。フッガー家を初めとする南ドイツの銀行家たちが興した金融帝国もまた同様である。(p.118)

日本の研究では、このような指摘は見たことがない。
銅の需要について軍事的要因と絡める視点は、少なくとも日本では希薄。ただし、銅の軍事的重要性を重く見すぎるのにも注意が必要。
大砲と金属需要の関係については、要調査。

近世におけるヨーロッパの歴史的経験とアジア諸国のそれとの根本的な相違点は何であったかといえば、それはおそらく、アジアにおいては指令による動員は、人間同士の相互作用の第一次集団的パターンの保存に寄与し、またその保存によって支えられていたことだと答えられるであろう。結局のところ服従というものを最もよくかちえられるのは、長きにわたる親しい接触で、服従する者にとって気心の知れた指導者である。地位の上下に準拠する社会関係や、伝統志向的な社会構造、辞儀と席次にあらわれる地域社会の階序組織などは、すべて政治的指令構造を内側から支える下位の要素として適合的なものである。地方の有力者間の、非常に多様な個人的敵対関係は時として混乱を招くが、そういうマイナスがあっても、社会行動は階序的パターンをもった役割構造に準拠すべきだという地域社会の原理は、指令システム全体を下支えし、持続させるのである。(p.155)

この部分は、条件付で受け入れてもいい。
ただ、近世に限れば、ヨーロッパにおいても「第一次的集団」の重要性は否定し得ない。
では、何が分かれ目か。共同体的な集団主義(地縁共同体)の存在を重視したい。

もちろん、農村で土地が足りなくなって、若者たちに親たちと同様の暮らしかたができなくなった欲求不満が革命的な表出をするという現象は、まだ地球上から消滅したわけではない。ラテンアメリカや、アフリカの一部、東南アジアでは、いまなおそのことは続発している。だが、第一次。第二次の世界大戦に関するかぎり、日本の人口増加の加速と、ほぼ年代的に並行して起こった東・中欧の人口危機が、最も主要な動因であった。今では人口動態のパターンが変わってしまったので、これらの地域は二度とふたたび、この時期のような軍事的・政治的動乱の火元となることはないだろう。(p.430)

人口動態と戦争を絡める観点は興味深い。人口問題の解決策としての戦争。
この観点では、今現在イスラム世界で発生中であり、中国・インド・アメリカ合衆国が今後の危険地域となるだろうか。

かれらの反乱は、その極端な形態においては自滅行為となった。多くの麻薬中毒者が命を縮めたことなどはその例である。またこの反乱は、官僚制的・大企業的経営に対する実行可能な代案を生み出すことができなかった点でも有効性を欠いていた。(p.509)

現在の閉塞感もこのへんにあるよな…