菅豊『川は誰のものか:人と環境の民俗学』

川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

新潟県山北町の大川の鮭資源を素材に、コモンズの形成・維持の問題を明らかにしている。
1980年代の状況を基準として整理し、その後、大川の鮭資源管理をめぐる歴史を近世・近代と追い、最期に現在の状況を整理している。
ムラ単位の漁場の管理と、独特のコド漁のあり方が興味深い。
近世には、ムラとムラの争いから集落単位の漁場管理の慣行が形成されたこと、一方で流域単位でムラとムラの争いを調停するシステムが形成されたこと。支配者との管理も重要であり、租税の納入が権利の正当性を明らかにし、なた紛争時には支配者側の調整機構が権威の高い調停システムであったことが指摘される。
近代に入ると、「公益」というイデオロギーが力を持つようになる。国家全体での生産量の増大を目指した、「繁殖」「資源保全」という国家の方針が貫徹され、地域の自律的な管理や伝統的な漁法が否定されていく。
近代の「公益」概念の、ひいては明治政府全体の薄っぺらさがどうにも気になる。

大川郷の人々にとって、「資源保全」思想に潜む、国家に資する福利=「公益」よりも、実際に共に生活を送る人々に資する福利=「共益」の方が、リアリティーがあり、さらに優先されることであったといえる。(p.167)

とあるが、本来重層的な存在であるはずの「公益」を国家の次元に一元化してしまう思考がいまだに残っていて、問題を残している。
最期に現在の状況を整理している。経済的重要性の喪失。高齢化による人数の減少などによって、集落単位の漁場管理が曲がり角に達していることが指摘される。
本書を読んで興味深かったのは、近世の漁場を巡る争いを調停する多段的な調停システムである。歴史学でも、紛争解決というなは最近流行のトピックである。地域社会の安定を維持する上で効果的な紛争の調停システムは不可欠である。大川郷では、周辺の庄屋、地域の有力者という地域内での調停の上に、領主の役所へ訴え出た後も役所が内々に治めるよう命じる。そのうえで訴訟にいたるという多重のシステムがあり、また領主側が内済を命じているところが興味深い。


本書は、東京の新中川河川敷の菜園の強制撤去とそれをめぐる騒動から話を始めている。しかし、冒頭の河川敷の菜園の問題を「公」の荒廃と位置付けているのには違和感を覚える。最終的にこの河川敷はクローバーを植えて、公園として整備され、行政主導のイベントで利用を図ろうとしている。
しかし、家庭菜園を作ろうとする、いわば下からの力をキャッチアップして整備する方向もあったのではないかと思う。その方が、整備のコストがかからずに済むと思うのだが。
私が大学生時代に京都にいた頃(もうずいぶん前のことになるなあ、しみじみ)、頻繁に、週2回程度の頻度で、桂川の河川敷のサイクリングロードを走っていた。当時、四条あたりから南は河川敷に延々と菜園が続いていて、その景観を私がけっこう気に入っていたから、このあたり違和感をおぼえる。
例えば、菜園の占有者で「○○川河川敷環境整備組合」とかなんとか言う名前の団体をでっち上げて、行政側と話し合う。倉庫などの施設を堤防の外にまとめる。草刈や見回り、他の公園施設の管理など行政の仕事の一部を肩代わりする等の条件で交渉すれば、多少は話が通じるのではないか。学校や福祉施設、老人会の類を抱き込んで、教育活動や老人の健康維持のためなど福祉の機能を主張すればなおのこと。政治家を抱きこむ、役人のOBを顧問に迎えるなどの手を使えば、河川管理者からの許可を取り付けるのも不可能ではないのではないかと思うのだが。
個人的には、荒地や大して使う人もいない公園よりいいと思うのだが…