永井良和『風俗営業取締り』

風俗営業取締り (講談社選書メチエ (238))

風俗営業取締り (講談社選書メチエ (238))

主に戦後の風俗取締りの歴史を整理している本。戦後の混乱期、高度成長期、バブル期、90年代以後と時代による娯楽の変化に合わせて、取締りも変化していく状況が追われる。
興味深いのは、大人の飲む・打つ・買うの規制から、1980年代以後「青少年の健全育成」と取締りの目的が変遷して行ったという指摘。この手の理念が比較的最近クローズアップされるようになったということは、この手の規制の対象になりつつあるオタク系の趣味を持つものとしては、頭に入れておくべきことだろう。
風俗産業の取り締まりについては、セックス産業の従事者の福祉と性感染症(特にエイズ)の拡散阻止以外についてはどうでも良いと思っている。「青少年の健全育成」という考え方そのものが気持ち悪い。いい加減、パターナリズムから教育を主体とした方式に変えるべき。
以下、メモ:

日本では、大正時代から欧米の都市計画の考え方が積極的に採り入れられてきた。現在の都市計画法建築基準法が定めるような用途地域性は、アメリカでつくられたゾーニングの発想をもとにしている。その起源は、ある都市で中国人が経営するクリーニング店を排除するためにつくられた法令にあるという。(p.136)

都市計画の起源と人種差別。

 問題は、子どもと性風俗とのかかわりだった。これまでにも青少年の非行問題はくりかえし何度もとりあげられている。しかし、1980年代初頭には、事態が相当に深刻だと受けとめられた。それは、右の説明にもあるとおり、非行に関する公的データが「戦後最悪」を示していたからである。犯罪や非行についての公的データは複雑な社会現象から切り取られた断片でしかなく、数値の増減も警察の業務がどのていど活発であるかを示すにすぎない、何が「原因」であるかの特定も難しい。(p.160)

警察データの意味。

一部の出版物の表現内容が青少年の健全な育成にとって「有害」であると見なされ、社会的な問題としてクローズアップされたのが1990年代前半の「有害コミック」問題である。青少年向けの雑誌の内容に刺激の強い暴力描写や露骨な性描写があるという指摘は、1970年代以来くりかえしなされてきた。たとえば、80年代にも少女向け雑誌の記事が過激だとして国会で取り上げられたりしている。
しかし、大きく扱われたのは90年代になってからのことだ。(p.187)

天の下に新しきものなし。

しかし、取締りの基本的な方式、すなわち「囲い込み」は維持されている。大人の遊びを隔離することで、子どもの「無垢さ」に象徴されるような「幸福な家庭」を守るという構図に、変更は加えられていない。(p.190)

この基本的枠組みそのものが気持ち悪い。

このように、パターナリズムという考え方がどんどん拡張していくと、大人の生活も制限されることになる。しかし、大人がストイックに生活したからといって、犯罪が減るかどうかということも実はよくわからない。逆に、子どもはいつまでたっても社会悪について学習しないことになるので、大人になった瞬間に突如として悪と向き合わなければならなくなる。あるいは、知らずに何かしでかして、気がつくと一線を越えていたという事態を迎えるかもしれない。(p.220)