岡崎哲志・日本の港町研究会『港町の近代:門司・小樽・横浜・函館を読む』

港町の近代―門司・小樽・横浜・函館を読む

港町の近代―門司・小樽・横浜・函館を読む

 タイトルにある通り、近代に入って発展した港町から4港を選び出し、その地誌的展開を建築史の立場から再構成している。近世以前の展開が、その後の都市の形にかなり明瞭な痕跡を残していることが興味深い。
 しかし、コンテナリゼーションと航空機によって必要性がなくなった旧来の港湾をどうリノベーションしていくかというのは、難しい問題。特にコンテナ港湾に関しては、設備の次元がまるっきり変わってしまった以上、旧来の施設を潰して作るか、外に作るかの選択肢しかないし。フェリーと漁船意外で、港を使う需要を創造するには、ほとんど不可能だろうしな。
 本書で選ばれた四つの港は、観光地として再生を模索しているようだが、これもなかなか難しい問題だな。目先のレトロブームに囚われて乱暴な開発を行えば、長期的には都市の生命力を削ぎ、ブーム後はペンペン草も生えない状態になりかねない。そう考えると、都市の来歴や特性を注意深く読みとった上で、長期的に歴史的価値に投資していく、そういう枠組みをどう作っていくか。そこが問題なのだろう。読み解く眼さえあれば、魅力的な空間は、本書で紹介されるように豊富に存在する。それをどうプレゼンし、どう人を惹きつけていくか。本当はその土地に関して関心があるわけではない、わがままな観光客を満足させつつ、地域のアイデンティティや持続可能性を担保していくというのは、相当に難しいことだとは思う。

 門司は行政の強力なてこ入れもあり、門司港駅前の第一船溜を中心に街の再生が行われ、賑わいをつくりだした。門司は、レトロブームの火付け役の一旦を担った港町である。とはいえ、この賑わいが門司全体のものであるのかといえばそうではない。観光化された中心部を少し外れれば、人通りはめっきり少なくなる。しかも、観光ブームは人々の生活をあまり潤してはいない。そればかりか、街の中に散在する近代遺産は登場する機会を失っている。あるいは、その場にあった近代建築が賑わいの中心に移築され、この港町における歴史的文脈を断ち切る状況にもある。
 古い建物を単に移築し、まちづくりで勝手に建物を配置換えし、都市の活性化に役立てようとする善意は長い目で見た時むしろよくない。近代港町・門司の再生には、都市空間の歴史的な脈絡を充分に擦り合わせる必要がある。時の勢いに流されては、まちづくりの本筋が見えてこない。p.51

 成功事例といっていい、門司でさえこの状況。空間の重層性こそが、都市のテーマパークに勝る部分といっていいのだから、そのあたりは大切にするべきだろうな。テーマパークのようなイベントを頻繁に開くのは難しいのだし。


 しかし、小樽のタクシーの運ちゃんの話は確かにがくっとくるだろうな。

 実測調査に明け暮れた最終日、見落としていた幾つかのポイントに気が付き、タクシーでまわることにした。その時、運転手に思いがけない返答をされたことが思い出される。小樽に三泊したことを伝えると、「どこにそんな見るところがあるのですか」と聞かれたのだ。小樽なんて一日で充分であると言いたげであった。小樽の都市の持つ面白さに興奮状態であった私たちは、いささか拍子抜けした答えに唖然とする。p.57

 まあ、都市をそこまで読みこむのは専門家か地元の歴史家でなければ、無理だろうけど。地元の人が、地元の魅力や遺産に無関心というのが厳しい。しかし、タクシーの運転手にそういう知識が普及すると、地域を読む観光に有効かもなとも思う。


 以下、メモ:

 一方、現代の港湾づくりは、このようなことはしない。海に埋め立て地を造成し、港機能だけを描いた青写真に合わせ、港湾を独立したものとして計画・整備する。むしろ、意識的に港と街を分離してきた。ここに、近代港町との違いがある。荒れ地にできた明治期の門司には、港の機能に限定すれば現代につながるとしても、現代からの視点だけで捉えきれない近世以前との連続性が見えてくる。港と街を一体のものとして見た時、日本の港町づくりに、なにか不変的な考え方があることを示しているかのように思われる。p.29

 コンテナリゼーションによって、港と街というのが決定的に分離してしまった。そこをまず重視しないといけないのではないだろか。その上で、旧来の港町というものをどう作り変えるか。街の形成要因としての港は、もはやほとんど存在意義を失くした。そこが難しい。

 すなわち、近代横浜の都市形成は、歴史的連続性を持つ空間の基層と周辺との関係性の上に成り立っていると考えているからだ。都市文化の厚みは、それまで積み重ねてきた環境をいかに新しい空間に組み入れられるかが重要である。ここが新しく誕生したかに見える都市でありながら、空間の厚みを醸しだすマジックを解き明かす鍵となろう。p.98

 確かに、この空間の厚みというのが、どこに行っても場所の魅力に重要だと思う。しかも、リテラシーが上がれば上がるほど、新しく見えてくるものがあって楽しい。

 青森から乗ったフェリーのターミナルは、市外北東部の外れにあり、旧市街からはかなり離れたところにつくられた。例えば、このフェリーが幸坂あるいは倉庫群の辺りに到着すれば、港に入ってくる時の景観にインパクトがある。テーマパークのように遊覧船を運航するだけでは物足りない。船で訪れる港のあり方、そして港と街との関係から、総合的に都市を再構築してこそ港町の醍醐味があるというものだ。函館のもつ水辺景観の価値が過小評価されると同時に、限定された営利目的に終始し、総合的な水辺再生への取り組みがおろそかになってはいけない。経済ばかりではない、文化としての地域マネージメントも視野に入れ、都市再生を考える時にある。p.198

 確かにフェリーのターミナルは市街中心部から外れた場所にあるな。しかし、市街に近づけるにはいろいろ問題があるのだろうな。

 函館が経済的に衰微している状況は、旧市街から銀行が全く姿を消していることでもわかる。その代わりに、静かになった旧市街には高層のマンションが立ち並び、函館の歴史的景観を破壊し始めている。つい最近まで、巨万の富を築き上げた人たちですら侵し得なかった変化が、函館では進行している。街の活性と都市景観の魅力を同時に達成した空間が、その価値を失いつつあるのだ。量から質の時代を問いながら、激しく質を破壊し、量に走る戦後の変わらぬ姿が浮かび上がる。
 単に、歴史的なストックを食いつぶす都市の試みに将来はない。新幹線の駅がこの都市から遠く離れることに対し、マンションをつくることで人口の維持を図っているとは思えない。しかしながら観光客にまだ見向きもされていない貴重な近代の建築や街並みが、次の出番を待つうちに消えていく歴史都市の問題を、今回の函館の調査とその後の分析では強く感じた。函館ならではの豊かな環境を再構築することが本質であるように思う。場当たり的な開発は、一時的な利潤を生むだけでしかない。しかも、失われた歴史的空間を取り戻すには莫大な資金と、長い時間を必要とし、もう二度と再現できない可能性もある。p.200

 マンション開発なんて、その利益はどっか余所に行くだけだろうしな。地域の再生に、マンションは機能をはたしていないのは同意。部分最適化の最たるものだろう。
 ただ、歴史的な空間の価値を、新たな経済的価値につなげていくのは果てしなく難しいというのもまた厳然たる事実なのではないか。