長沼毅『死なないやつら:極限から考える「生命とは何か」』

死なないやつら (ブルーバックス)

死なないやつら (ブルーバックス)

 極限生命の観点から、生命とは何かを考える本。
 物理学者シュレディンガーによる生命の定義、「生命とは、負のエントロピーを食って構造と情報の秩序を保つシステムである」から始まって、極限の生物たち、進化や遺伝子の継承、宇宙の中での生物と見て行く。生物は、炭素化合物で炭素化合物で構成されていて、本来、不安定な物質を、外部からエネルギーを取り入れることで、「準安定状態」に維持していること。生物は、エントロピーを促進する「散逸構造」であり、かつ、外部からの撹乱につよい「ロバスト」な構造であること。また、実際の生物に向かい合ってきた経験から、地球生命が撹乱に強い方向に進化してきたとはいえ、それ以上の大きな撹乱にさらされれば、存続できなくなる、もろい存在であること。生命現象は「あたりまえ」のものではなく、物理学者が考えるような「必要な物質さえ揃えば、宇宙のどこでも生命が誕生する」(p.32)ようなものではないと指摘する。
 また、地球外での生命の存在に関しても、宇宙全体でも生命が誕生したことが稀なことであり、条件が揃っても確率が低いのではないかとの事。このあたりは、火星やエンケラドゥスの探査が進まないとなんともいえないところだな。そのあたりで、生命が見つかれば意外と簡単に生命は発生するといえそうだし。ただ、40億年、継続的に生命が生き残ってきたことは、奇跡的な事態であるとは言えるだろう。


 やはり、第2章の極限生命たちが興味深い。無駄な耐久力を備えた微生物たち。タンパク質の限界から、高温では130度程度が限界。しかし、一部の微生物が備える、圧力や重力、塩分、放射線に対する耐久力がすごいな。2万気圧に耐えるとか、40万Gの重力に耐えるとか、大腸菌すごすぎる。まさに、「その能力、いらんやろ」としか言いようがない。そして、高塩分から真水、高温から冷温、外部から栄養が取れないときは独立栄養生物に早変わりと、生存可能領域がやたらと広いハロモナス・グループ。微生物の世界の深さが。


 第3章と4章は進化の話。
 突然変異の蓄積と環境圧の相互作用によって、生物は進化していく。そこには方向性はなく、ランダムなものであること。単細胞生物は、分裂して増殖して行く、寿命のない存在。これが、多細胞生物になって、「寿命死」するようになる。このような方向に進化した理由として、酸素が増えたこと。それから遺伝子を守るため、生命を継承する卵細胞と酸素と接して傷つく体細胞に分化したことが発端ではないか。あるいは、遺伝子の継承のためには、単純に利己的ではなく、協調も重要であること。その極端な事例として、細胞内で共生するミトコンドリア葉緑体のような事例が紹介され、チューブワームと硫黄酸化菌も、そのうちこのようになるのではないかと言う。
 人間が自分たちで遺伝子をコントロールして、環境圧を人為的に操作できるのではないかという話も興味深い。ただ、生命が、複雑に相互作用させて、ロバストネスを高めていることを考えると、実用的な遺伝子改変は無理なんじゃないかな。あちらをいじったら、こっちに問題が出てくる、見たいな感じで、トレードオフの度合いが大きくなりすぎるのではなかろうか。