文化財の被災状況4

 昨日、見にいった場所。白山通り周辺から、熊本駅周辺、古町方面に移動。
 震源に比較的近い長嶺あたりより、こっちのほうが建物の被害はひどく見えるな。どこの神社も、石造物の被害がひどい。それに比べると、社殿や建物は、相対的に被害が軽く見える。せいぜい、黄紙くらい。

琴平神社

 一見して、こんなに明るかったっけというのが第一印象。地震で、立木の上部が折れて、撤去されたらしい。写真をみても、木が途中ですっぱり切られている。拝殿にはつっかえ棒。石碑はほとんど倒れている。
 倒壊した薬師門は撤去済み。あれは、あの神社がかつては寺院であったことを示す数少ないよすがだったのだが。あと、かつては、鳥居が複数建っていたのだが、それも倒壊したのか、なくなっているな。明治時代に台湾で自転車商をやっていたところから、寄進されていたのだが。
 在りし日の姿。



 全景。







 狛犬は無事。安政五年に寄進された、熊本市内では江戸時代に遡る希少例。あと、雰囲気がいいので、大事にして欲しいところ。





 敷地を画す石塀も破損箇所が。



 一番やばいのは擁壁が破損していること。この神社は、社殿と本殿が一段高くなっているのだが、それを支える石垣がはらみだしている。ここの修理に金がかかりそう。本殿の土台も歪んでるし。


世安神社・無漏寺

 ここも、石造物が悉く倒れている。井上常八さん関係の石造物、無漏寺碑、石仏や無漏寺の歴代住職の墓など、ほとんど倒れている。木製の仮鳥居が設置されている。拝殿は黄色紙。






 狛犬は落下。この神社と北岡神社の狛犬は、ずんぐりしたシルエットがおもしろいのだが。作者は吉田英治。






 入り口横のくぼみ。鳥居の跡かな。


二本木神社

 3年半ぶりか。以前見たときは、社殿の基礎が傷んで、つっかえ棒で支えていたが、その後修理したようだ。冗談抜きに、倒壊しているかもと思っていたのだが。正面の玉垣以下、石造物の破損多数。





 とりあえず、現状、ここの境内には入らないほうがいいです。鳥居が普通に立っているから、入ってみたのだが、振り返ってビビった。笠木がずれている。帰りは、南無三で走り抜けた。



 狛犬は、吽像が台座崩壊で投げ出されている。阿像は無事。ダースベーダーのヘルメット型の頭部がぷりちーな例だけに修理が望まれる。





 「西郷隆盛先生本営之趾」碑は、台座が完全に崩壊して、投げ出されている。碑本体はともかく、台座の銘文を刻んだ石はどうなっているのだろうか。ビフォーアフター



北岡神社

 下から見たら無事と思ったら、中腹が崩れている。山門と夫婦楠、社殿、社務所は大丈夫のようだ。





 中腹の斜面崩れ。



 斜面の崩落によって、社殿前の広場の玉垣も崩壊している。ここの玉垣は、東京や大阪の商人から寄進を募ったらしく、両地との関係や、近代初期の商家の屋号や印まで分かる、興味深い存在なのだが。ちゃんと修理されるといいな。







 こんな感じで、場所と商売、人名が刻まれている。言わば、玉垣そのものが買い物案内みたいなものだったのだろう。全部リスト化しようと思っていたが、その前に崩壊してしまった…





 これは怖い。


ピーエスオランジュリと早野ビル

 前者は1918年の旧第一銀行の建物、後者は1924年築の初期の鉄筋コンクリビル。ピーエスオランジュリには、黄紙が。後者は普通に営業している模様。



明八橋と明十橋

 坪井川にかかる橋。新町と古町を結ぶ幹線だった場所。名前の通り、明治8年に架けられた石橋。アーチは無事のようだが、欄干が崩落している。上流の明十橋は無事。




古町の町屋

 あちこち見て回ったけど、ひどい状況。土壁の町屋は、どこも建物が傾いている。つーか、今まで気づいていなかったが、けっこう、土壁の町屋多いんだな。壊れて分かったというか。









 知らなかったけど、古町には石蔵があるんだな。初めて気づいた。これは、是非に保存を。