古橋秀之『ケイオス・ヘキサ三部作』

ブラックロッド (電撃文庫)

ブラックロッド (電撃文庫)

ブラッドジャケット (電撃文庫 (0176))

ブラッドジャケット (電撃文庫 (0176))

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

 ラノベのオールタイムベストの話題で、ふと読み返したくなったので発掘。最後の『ブライトライツ・ホーリーランド』が1999年刊行という時間の経ちっぷりに、驚愕した。
 こうガシガシと人が死んでいく黒さ、オカルト・パンクとでも言うしかない世界観、話の疾走感。素晴らしい。個人的には第二作の『ブラッド・ジャケット』が話のこなれかたや分かりやすさの点で一番だと思う。『ブラック・ロッド』は少々ぎこちない感じが。最後の『ブライトライツ・ホーリーランド』はラストがよく理解できない。「ロング・ファング」かっこいいよ「ロング・ファング」。

ライトノベル年表

pastport.jp
 メモ。トンボ氏の主観による代表作の時代別変遷年表。
 個人的な体感を基にライトノベルを語るとしたら、ライトノベルの始まりはスニーカー・ファンタジア両レーベルの創刊以降となる。「現代ラノベ」の形は、それで作られた。ただ、やはりソノラマ・コバルト両レーベルは明らかにライトノベルの範疇だし、歴史的にもその存在は外せないのは確か。88年以前を「プロトラノベ」の時代とでも規定するか。
 その後のラノベの歴史展開を大まかに整理するなら、88-95年あたりが『スレイヤーズ』の時代、95-02年あたりが、電撃の躍進とファンタジアの再建努力が見られる電撃の時代、あるいは『ブギーポップ』の時代、02年あたり以降の電撃文庫主導による出版量の増大と新レーベルの参入の拡大の時代あたりに分けられるだろうな。その後は、02年ごろからついていけなくなったから、よく分からないけど。

スーパー堤防事業「廃止」 事業仕分け第3弾

http://www.asahi.com/politics/update/1028/TKY201010280413.html
【事業仕分け】完成に400年以上かかる『スーパー堤防』 廃止
 まあ、スーパー堤防構想そのものに現実性がないのは確かだと思う。ただ、結論を出した時の、「スーパー堤防はスーパー無駄だから廃止」て言った時のドヤ顔はいただけないw


 住民の立ち退きをめぐる交渉やそれに伴う地域の破壊を考えるとね。既存の堤防の中心を掘り返して、鉄筋コンクリの壁を埋め込むほうがまだ現実的だと思う。流域全体で被害を軽減する方法を考えていくべきで、堤防やダムだけでは限界があるだろう。
 あと、「俺的スーパー堤防」が笑った(下のリンク参照)。

このままではニャル子さんが中国で最も有名なクトゥルフになりかねない

blog.livedoor.jp
 へえ、クトゥルフの知識ってオタの基本的教養の一つだと思っていたから意外。日本の翻訳大国ぶりが、こんなところからも分かるな。

【チャイナネット】100年前の中日韓の首都(写真あり)[10/28]

http://www.agape-ch.net/archives/7383 古写真はおもしろい。
 スレの議論は少々民族差別的な感覚が入っていて微妙だが、明らかにソウルが見劣りするな。藁ぶき屋根の建物が多い都市は、火災に脆弱だろうと思うのだが、どうだったのだろう。江戸も、たび重なる大火への対策で、瓦屋根に白漆喰の街並みができあがったわけだが。
 北京と江戸は、産業革命以前では世界最大級の都市であったのは確か。100万ほどの人口を誇っていたと聞くが、確実な情報源はそう言えば思い当たらない。単純に国の広さで考えると、江戸の規模はやはり驚異。パリも60万ほどはいったようだし、「国民国家」の凝集力の強さというものを感じる。
 あと、朝鮮人の服装というもの興味深い。誰もかれも真っ白な服(逆に言うと、それなりに白さの維持に苦労させられそうだが)を着ているとか、女性の胸だしルックとか。江戸時代の日本人は、人前で裸を晒すのに抵抗がなかったと指摘されるが、このあたりの心性の変化というのも面白いものだ。

ぼくリバタリアン!

dr-seton.hatenablog.com
 そもそも、現代社会において「リバタリアニズム」って成り立たないと思うんだ。

もともと、リバタリアンを自称するなら、もっともパターナリズム的なのは「軍事」と「警察(司法)」なのだが、そのことに踏み込んでいる様子も無いしね。もちろん、リバタリアンにおいては「夜警国家」として「軍事」「警察」の存在は最低限のシステムとして認める考えがあることは承知している。が、だ。軍事や警察の有り様というものはリバタリアンなら常に考慮の対象となるものだ((例えば、「イラク戦争」を含めたブッシュ政権の対外的な軍事行使はリバタリアンの立場から批判があった)。

でも、軍事の問題を指摘しているが、そもそもそれどころではない問題を抱えている。国家の最低限の機能として軍事と警察のみを認める「夜警国家」という考え方がある。しかし、現代の、総力戦以降の戦争では、国民を総動員し各種規制を伴う総力戦体制を構築しなければ、自国の安全を守ることすらおぼつかない。そう考えると、安全保障の部分でリバタリアニズムは矛盾をきたしてしまうように思う。「夜警国家」の概念が提唱された時代でも、『軍事=財政国家の衝撃』という本がでていたり、「軍事革命」論で指摘されるように、国家が戦争を遂行するための費用をどう捻出するかというのは大きな問題であり続けたわけだし。
 現在だって、まじめに同格の相手と戦争するなら、「経済的自由」なんざ簡単にけし飛ぶだろう。総本山のアメリカ自体が、格下相手の戦争で、財政青色吐息なわけで。