- 作者: 中野三敏
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1992/10/01
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
個人的には前半がおもしろかった。巻ノ一は江戸時代の文化の序列意識である雅と俗。それが融合した18世紀が江戸文化の絶頂期であると指摘する。巻ノ二は中央と地方の関係。九州の文化人の紹介や博多を中心とした地方出版である「田舎版」の紹介。巻ノ三は遊郭の話。遊女評判記と同質のものがヨーロッパや中国にも存在し、日本のものは中国からの影響を受けたという話。このあたりは、わりあい話がまとまっていておもしろかった。
後半は雑然とした印象。巻ノ四は箸休めと称していろいろな話を。巻ノ五はあまり知られていない江戸時代の文人の伝記を紹介。巻ノ六は和本や古本屋の話。江戸時代の後半には木活字が改めて広がったこと。木活字の書物は、商業出版物と認められず、ほとんど検閲の対象にならなかったという話が興味深い。林子平も、木活字で出版していなければ、死ななくてもすんだかもしれないとか。
松平定信の寛政の改革で、黄表紙本が消滅した事例は、弾圧の結果ではなく、作者がギャグをひねり出すのに疲れていたところに、武家はその本分に帰れという政治的なスローガンがちょうどよい言い訳になったという指摘も興味深い。確かに、現在のギャグ漫画も、作者が疲弊していくというし、そういう側面もあったのかもな。
以下、メモ:
あえて教科書的常識に逆らって、この時期をもっとも江戸らしいとする以上、その江戸らしさとはなにかを示すべきだといわれるのは当然でもあろう。そのためのキーワードは「雅」と「俗」の二語が適当かと思う。「雅」とは伝統文化をいい、「俗」とは新興の文化を指す。江戸の文化はこの二元性の上に成り立ち、しかも「雅」を上位とし、「俗」を下位とする価値観の裏付けを、しっかりと保っていたことの指摘は、中村幸彦先生によってもっとも刺激的になされたところだった。江戸時代を通じて「雅」と「俗」とは二つの大きな流れを作っていた。そして江戸が江戸であるかぎり、「雅」と「俗」の価値の転換はついに起こらなかったことを明確にしておかねばならない。
そして「雅」と「俗」との流れをさきほどの三分法にあてはめて眺めると、前期は「雅」中心、後期は「俗」中心、そして中期は「雅」と「俗」と併存して融和する、というのがその特徴であり、もっとも江戸らしい文化というのは、まさにこの「雅俗融和」の文化を指すといえばよかろう。p.7