藤原祐『レジンキャストミルク』読了

レジンキャストミルク (電撃文庫)

レジンキャストミルク (電撃文庫)



なかなか好みの作品。
道具立てや雰囲気では似たような作品が思いつく。三雲岳斗の学園バトル物、特に『i.d.』シリーズと物語の構図や雰囲気が非常に似ている。また、御影瑛路の『僕らはどこにも開かない』も、読んでいて連想した。なんとなく『ザンヤルマの剣士』の裏次郎みたいなのも出てくる。
女の子の体内から武器が出てくるというイメージも、私自身は出会ったことがないが、前例はあるだろう(どこかのライトノベルorマンガの書評でそんなことが書いてあった)。
しかしながら、文章の固さと、適度な青臭さとでも言うものが、本書に独特の雰囲気を与えている。
痛みを失った、それゆえ、人の感情を傷つけ、利用できる主人公というのはあまりいないだろう。その割りに、あまり外道な事をしないのは、心の痛みは残っているという設定ゆえか。


物語のラストで、主人公は以下のように独白している。

日常という平穏、それこそが十全であると、僕に思い知らさせてくれたあいつ。
僕が再び育て、温めてきた日常に、餌に――あいつはついに食いついてきた。
あいつは――『無限回廊』が、これから先、躍起になって僕の日常を破壊しようとするだろう。あらゆる手段を使って、僕へ干渉してくるだろう。
だけど僕は絶対に壊れない。
来るならば来ればいい。昨日、皆春八重が言ったように、僕はすべてを利用してあいつを迎え撃つ。むしろ壊したいのなら好きなだけ壊せばいい。僕はその度にこうして、無様に卑怯に自分勝手に、その破壊をゼロに収束してやろう。

が、主人公は、どこかの時点で「日常」を維持できなくなるんじゃないのかなと思った。
なにか大事なものと、どちらを選ぶかを迫られるのではないか。
あと、根本的な考え違い、ないし矛盾を衝かれて、苦悩することになりそうな予感。


後は、硝子ちゃんから武器を引き出すシーンがなかなかエロいとか。
「一九九九年に東京で起きた、あの民間旅客機による連続自爆テロアメリカで起きていたらという仮想観測を基にして生まれた、この世界まるごとをコピーした虚軸」って、それはちょっとまだ生々しすぎる設定なのではとか。
同じ作者の『ルナティック・ムーン』の一巻でも登場人物がたくさん不幸になったなあとか、そんなことを思った。