本日は、京町から坪井方面の石碑をいくつかチェック。裏面に文章が刻まれているものが多くて、思いのほか時間がかかった。
木下い村塾跡(いは登録されていない文字。韋革)
京町2丁目の京町台公園内にある石碑。名前の3文字目が分からない。IMEには入っていないし、辞書を見ても出てこない。つくりが韋で、へんが革。ネットで調べると、「木下い村」表記が多い。
→ 木下犀潭(きのしたさいたん)
木下い村塾跡 (きのしたいそんじゅくあと) なんか風景が違う…
正面「木下い村塾跡 熊本市長石坂繁書」
左面「昭和四十一年五月六日百年祭記念 木村い村先生顕彰会建立」
右面「木下い村塾跡
熊本の師聖木下い村先生は天保七年(一八三六年)
三十二歳の時内坪井に木下塾を設けられ続
いて安政四年(一八五七年)此の地に塾を移し慶応
三年(一八六七年)六十三歳の逝去の時迄三十二年
間子弟を教育せらる 明治時代の熊本の人材
殆ど此処より出づ 木下い村先生顕彰会」
曹洞宗流長禅院
壷川小隣の交差点角にぽつんとある石柱。古いものかと思っていたら、結構最近のものだった。なんか道か敷地の変更を示す案内の石柱のようだ。
正面「曹洞宗流長禅院」
裏面「昭和七年四月 □路変更」(□は風化で読めず)
贈正四位宮部鼎蔵先生邸址
内坪井町の夏目漱石内坪井旧居そば。この辺には佐々友房生誕地もほど近い。
隣の敷地がマンション建設予定地で更地になっているので、石碑の裏に回りこんでメモするのは結構目立って恥ずかしかった。あと、あのような土地にマンションなんぞを建てるんじゃねえ、馬鹿者。場所を考えろとか思った。
裏面の文章の意味が全然分からない…
正面「贈正四位宮部鼎蔵先生邸址 公爵三条公輝書」
裏面上段「維新回天ノ皇猷ヲ翼賛シ身ヲ挺シテ国難ニ殉
ヘタル東肥ノ先輩鮮シトセス田城宮部鼎蔵先
生実ニ其ノ巨擘タリ偉矣田城子孝忠鍾一身死
為護国鬼生為尊王臣先生ノ大節炳乎日ノ如シ
郷人碑ヲ熊本城下ノ邸址ニ建ツ 噫是先生ヲ千
古ニ尚友セントスル所以ナリ
昭和九年四月 蘇峰徳富猪一郎撰
東郊菊地直人書」
裏面下段「宮部鼎蔵先生 顕彰会長
熊本市長 山田珠一
同 副会長
熊本県学務部長 山本秋広
同 幹事長
壷渓塾長 木庭徳治
同 工事監督 緒方直喜
建碑用地寄附者 和田三次郎
和田幸記
寄附金篤志者芳名 別冊
石工 川越信次」
後で調べるためのメモ。徳富蘇峰のページ
(追記7/26)
図書館で蘇峰会編集発行の『徳富蘇峰の碑』(1983年発行)を調べてみたが収録されていない。徳富蘇峰撰の石碑が200近く収録されているが、この碑はアンテナにかからなかったようだ。
(追記10/16)
宇野廉太郎・宇野カネ編『肥後名家碑文撰』自費出版 1963を参考に修正。