物語 ストラスブールの歴史 - 国家の辺境、ヨーロッパの中核 (中公新書)
- 作者: 内田日出海
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/10/26
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
ケルトとゲルマンの境界地域の集落から、ローマ帝国の軍事都市に。ゲルマン人の侵入によって、いったん打撃をうけた後は、司教座都市から帝国自由都市へ。さらに、近代に入ると1681年にフランス王国に併合されるが、王国内での特別な地位を保持し、自治共和国的な体制はフランス革命まで維持される。この間、ストラスブール(シュトラスブルク)はライン川の都市として、ライン川を向いた経済活動を継続していた。フランス併合後も、特権として、自治や関税の便宜をうけ、ライン川の都市としての生活を続け、フランス化はゆるやかにしか進まなかった。この間、ストラスブールで展開された知的・文化的活動の記述も面白い。プロテスタント、啓蒙思想などの思潮が強く影響を及ぼしていた。
フランス革命以後、国民国家・ナショナルアイデンティティの強化に伴って、アルザス・ロレーヌ地域、ストラスブールも、フランスとドイツの間での綱引きに巻き込まれることになる。フランス革命後の中央集権化、ドイツへの併合、戦間期はフランスへ、ナチスドイツの支配、戦後は「ヨーロッパ」の枠組みの復活にともない、再びライン川世界へ開放される。19-20世紀の国民国家の時代の激動。フランス革命期以降にフランス化が進み、その後のドイツ時代の上からのドイツ化にドン引きする形でアルザス意識が醸成されると言うのは興味深い指摘。
本書の著者は、博士論文を17-8世紀のアルザスのタバコ産業で書いている(巻末の文献リストにも紹介されている)。その専門が、遺憾なく発揮された書物。この博士論文、面白そうなのだけど日本語訳は出ないのだろうか。
さて、いずれにせよ、ドイツやフランスがことあるごとにストラスブールに特権を認め続けたのは、単にこの都市がどちらの側から見ても辺境の地にあり、軍事的・地政学的に枢要地点をなしていたからだけではない。ストラスブールはどの時代にもドイツ的要素、あるいはフランス的要素をあたかも遺伝子のように保持してきた。その存続は市民により実際に声高に主張された。両国ともこれを国境線によって完全には切断できず、特別視せざるをえなかったのだ。国民国家の美しきストーリーをそこなう歴史上の染みだろうか。しかしこのようなことはヨーロッパに限らず近代化の課程で世界中のあちこちに発生した。むしろ多少とも体系的に把握されるべきもう一つの歴史的真実なのである。p.293
その点では、ロタリンギアは非常に面白い土地ではある。同じくアルザスの都市ミュルーズなんかは、長い間スイス盟約者団に所属していたわけで、そちらをクローズアップすればまた違う趣になっただろう。
このナショナル・アイデンティティの問題は、日本に即すれば、沖縄や北海道の諸民族が対象になるだろう。そして、ヨーロッパだからこそ、そのアイデンティティを保持することができたわけで、他の土地ではもっと暴力的に解決されたのではないかとも思う。
そもそも、国民国家という枠組み自体が、ヨーロッパの外では自明ではない。EU内でも東欧圏はずいぶん感覚が違うだろう。そのあたりにも注意する必要があると思う。